デジタル大辞泉 「検見」の意味・読み・例文・類語
けん‐み【検見】
2 中世、事件の監察のためなどに派遣された臨時の職。
3 「けみ(検見)2」に同じ。
4
5 敵のようすなどを探ること。また、その人。
「京勢も―の勢も一つになり」〈浄・吉野忠信〉
「検見」と書いて「けみ」と読んだ慣用も多い。特に近世の地方(じかた)の用語としては「けみ」の方が一般的と思われるので、それらの複合語は「けみ…」の項で掲げた。
( 1 )「検」の字音から「けみす」ができ、その「けみす」から「けみ」という言葉が生まれたと考えられる。
( 2 )「けみ」には「毛見」「検見」ともにあてるが、よみの示されていない単独の「検見」の例は「けんみ」の項に収めた。→検見(けんみ)
〈けんみ〉ともいう。田方立毛(稲などの作物)を見分けたうえ坪刈りをし,稲の豊凶に従い租税を決定すること。《地方(じかた)凡例録》には〈立毛の善悪を見分するばかりは検見でなく毛見という〉とあるが,実際上の用語では両者は同一のものと解せられる。検見の語は1298年(永仁6)《東大寺文書》播磨国大部荘百姓申状,1323年(元亨3)《金沢文庫古文書》下総国東庄上代郷黒部村検見帳に見えるが,1586年(天正14)1月の羽柴(豊臣)秀吉の条目に,給人が在所へ越し百姓と相対で検見を遂げ,有米三分一を百姓に遣わし,三分二は未進なく給人取るべきこととある。同様に97年(慶長2)《長宗我部元親百箇条》に,国中知行方は毛見の上を以て三分二は地頭,三分一は百姓がこれをとるべしとある。しかしこの制法の施行や検見の手続は不明である。
検見の仕法は後述のように各種があるが,幕領では享保期(1716-36)までは畝引検見(せびきけみ)取法が行われた。幕府は1718年定免(じようめん)制施行の準備を命じ22年ごろからおいおいこれが実施されるとともに,有毛検見(ありげけみ)取法に転換していった。すなわち畿内・中国筋では1744年(延享1)田方木綿勝手作仕法と併せ実施され,49年(寛延2)から幕領一般で施行された。享保改革後期には有毛検見取法によって年貢を引き上げ,これをもとに定免を請け負わせるなど露骨な収奪を行った。畝引検見取法は近世初頭の検地に基づく上・中・下・下々などの田品ごとに定められた根取米(1反当り取米)を,籾5合摺りとして2倍して300で除し,1坪当りの籾量を出す。これを当合(あたりあい)といい,代官・手代が各田品限りに検見坪刈りし,検見籾量が各当合より多いときは過剰分を不問に付し,少ないときは不足分を損毛として田品おのおのの反別もしくは石高に換算して控除(畝引)し,残りの反別または石高に対して年貢を賦課する方法である。しかし検地当時の位・石盛(こくもり)が生産力の発展に伴い現実にそぐわなくなり,検地帳が紛失して位・石盛がわからなくなった場合もあって,位・石盛やそれに対応する根取米・当合を廃し,実際の収穫高をもとに年貢を決定する法として有毛検見取法が行われた。
村方では検見に先立ち村役人と地主が内見(ないみ)(立毛の下見)を行い,田1筆ごとに付け木に字,地番,田位,畝歩,内見毛付,持主名を記し篠竹に挟んだ立札を立て,内見合付帳と耕地絵図を作成し,代官・手代に提出する。内見帳では有合毛(坪当内見籾)ごとに反別を集計し,有合毛ごとに坪数を乗じ(皆無は除く)内見籾高を申告する。代官・検見役人(手代)は上中下毛の各1ヵ所を坪刈りして舂法(ついほう)(籾摺り)を行い,申告量(内見籾,付出籾)より多く刈り出した分の平均籾量(刈出出合)に稲作全坪数を乗じた刈出籾を付出籾に加えて収穫籾総量を出し,幕領では5合摺り・5公5民であるから,その4分の1が当年の年貢米となる。なお代官が行う大検見と,手代2人ずつが行う小検見があって,小検見は賄賂強要など弊害はなはだしいため1713年(正徳3)禁止されたが,19年復活された。代官所は内見帳・歩刈帳をもとに下組帳を作り,さらに取箇帳を作成して検見終了帰府後30日以内に勘定所に申達した。
検見の種類は畝引検見・有毛検見のほか,有毛取の一種で古法の色取検見,簡略な法としての遠見検見・投検見・准合(じゆんあい)検見・請免居検見があった。田方にタバコ,木綿,アイ,ベニバナ,アサや野菜を作付けすれば,百姓勝手作として1735年田方上毛並に合付することとした。38年(元文3)これまで破免検見引していた畑作を定免とし,破免検見引を田方に限ったが,畿内・中国筋は畑・田とも綿作をしているので木綿検見(きわたけみ)を行った。木綿検見は小商品生産発展の成果を年貢として吸収する方法であり,綿の吹き終わる9月末ごろ坪竿を入れ,枠内の綿木を抜き綿の実(桃という)を取って数え,籾に換算して年貢を算出した。これも最初は畝引検見取法であったが,44年(延享1)有毛検見取法に転換した。有毛検見取法と田方木綿勝手作仕法による増徴は,勘定奉行神尾春央(かんおはるひで)らの上方筋巡見を機会に強行されたが,農民の訴願による抵抗を受けた。しかし新仕法は継続され,田方綿作は稲作や畑方綿作に比べ不利となり,衰退に向かった。なお検見の用語は明治以後も小作料算定・供出量割当に際しての作柄調査にも用いられる。
執筆者:大野 瑞男
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「けみ」とも読み、毛見(けみ)とも書く。江戸時代の年貢収納法の一つ。豊凶を検してその年の租額を定める。定免(じょうめん)法に対する。
[編集部]
毛見とも書く。江戸時代の年貢収納法の一つ。豊凶を検してその年の租額を定める。定免(じょうめん)法に対する。
[編集部]
…田方立毛(稲などの作物)を見分けたうえ坪刈りをし,稲の豊凶に従い租税を決定すること。《地方(じかた)凡例録》には〈立毛の善悪を見分するばかりは検見でなく毛見という〉とあるが,実際上の用語では両者は同一のものと解せられる。検見の語は1298年(永仁6)《東大寺文書》播磨国大部荘百姓申状,1323年(元亨3)《金沢文庫古文書》下総国東庄上代郷黒部村検見帳に見えるが,1586年(天正14)1月の羽柴(豊臣)秀吉の条目に,給人が在所へ越し百姓と相対で検見を遂げ,有米三分一を百姓に遣わし,三分二は未進なく給人取るべきこととある。…
…江戸中期以後の検見の一種。田畑の上・中・下の位,石盛やそれに対応する根取米に関係なく,実収によって年貢を決定する方法(幕領では五合摺,五公五民)。…
…対象作物はイネ,ムギ,果樹,野菜,畑作物などとなっていて,ほとんどの作物に及んでいる。被害量の推定は,まず農家から選ばれた損害評価員によって,被害申告を受けた耕地について,収穫期に一筆ごとに実地調査をしてその収穫量が推定され(検見という),基準収量-検見収量=被害量として計算される。その場合,その被害量の推定が客観的統一的で,公平・正確であることが求められる。…
…江戸時代前半に行われた検見法の一つ。定められた収穫額に不足する量を反別に直し,貢租額を減額する方法。…
…〈つちめん〉と読むことについては,1620年(元和6)広島藩浅野長晟(ながあきら)書状に〈つちめん〉と見えることによる。検見取(けみどり)が当該年の作柄調査を前提とした徴租法であったのに対し,土壌の善悪を基準に年貢を定める方式。熊本藩ではこの土免について〈御土免は田畑共に地味之位をよく見届け,反別相応に相極め申したく候〉としており,また土佐藩でも〈土地の厚薄にしたがい,何村の免は何ッ成と大抵は定め置き,なおまた,五年三年を限り,その村の豊凶を見合せて春のうち免究め仕り候,これを土免と唱え申し候〉としている。…
※「検見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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