中野島銭座跡(読み)なかのしまぜにざあと

日本歴史地名大系 「中野島銭座跡」の解説

中野島銭座跡
なかのしまぜにざあと

[現在地名]和歌山市中之島

中野島村の西南部、北新金屋きたしんかなや町の東側にあったといい(続風土記)、銭座の地名が残る。銭は和歌山銭ともいい、寛永通宝の一種貨幣経済の発達により全国的な銭貨不足を補うため、幕府は数藩に鋳銭を許可していたが、この銭座も幕府の経済政策に沿って設置されたものである。「南紀徳川史」の元文元年(一七三六)八月四日の記事に、熊野銅山からの出銅による鋳銭を願出た者があり、藩では幕府の認可を得たうえで鋳銭を命じたと記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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