日本歴史地名大系 「中野島村」の解説
中野島村
なかのしまむら
古くは、紀ノ川は当地付近で流れを二分し、一方はほぼ南行して和歌浦湾に流入、一方は西南に流れて紀伊水道に注いでいた。そのため当地は「中嶋」または「中之嶋」と称されてきた。「続日本後紀」承和一一年(八四四)一一月三日条にみえる
明徳三年(一三九二)八月五日付の廊ノ三郎近秀旦那売券(潮崎稜威主文書)に「サイカノ庄之内ナカシマ」とみえ、さらに長禄六年(一四六二)二月一四日付快什旦那譲状(米良文書)には「中之嶋」とある。
中野島村
なかのしまむら
多摩郡
近世を通じ幕府直轄領。南境を流れる
中野島村
なかのしまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報