中野庄(読み)なかののしよう

日本歴史地名大系 「中野庄」の解説

中野庄
なかののしよう

奈良時代の射水郡に所在した奈良西大寺領庄園。宝亀一一年(七八〇)一二月二五日の西大寺資財流記帳(内閣文庫蔵)の「田薗山野図」項に「一巻 (射水)郡中野庄布 在国印」とみえ、中野庄の布製絵図が越中国司の責任において作製されたことを示す。具体的な庄名を記さないが、同帳の「雑書」項に「一巻 越中国没官物并田籍五通 景雲三年」「一巻 同国稲田帳景雲四年」「一巻 同国田籍自景雲二年至宝亀元年」とあるので、神護景雲二―三年(七六八―七六九)頃には当庄も成立していた可能性が高いとみられる。神護景雲期は、天平神護元年(七六五)に太政大臣禅師、同二年に法王位に就いて政権を担当した僧道鏡が、称徳天皇の発願によって創建された西大寺の墾田形成に対し積極的な優遇策を行った時期である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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