中野殿村(読み)なかのどのむら

日本歴史地名大系 「中野殿村」の解説

中野殿村
なかのどのむら

[現在地名]安中市野殿のどの

北野殿・東野殿両村の南に位置する。もとは野殿村に属し(→東野殿村、天保郷帳に高二四一石余で村名がみえる。字うえたいらにある曹洞宗宗泉そうせん寺は寛永一二年(一六三五)小幡左衛門佐信秀の創建と伝える。しかし、信秀は武田信玄に仕えたのち北条氏に従い、天正一七年(一五八九)に上野国で戦死したといわれるので(寛政重修諸家譜)開山は天正年間までさかのぼるのではないかとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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