東野殿村(読み)ひがしのどのむら

日本歴史地名大系 「東野殿村」の解説

東野殿村
ひがしのどのむら

[現在地名]安中市野殿のどの

大谷おおや川を隔てて大谷村と岩井いわい村の西にある。もとは北野殿・中野殿・水堺みずさかいの各村とともに野殿村に含まれた。野殿の地名は、養老年間(七一七―七二四)多胡たご郡の羊大夫宗勝の反乱に際し討伐軍の本営を設置したことに由来すると伝え、屋敷やしきの字名がある。野殿村は寛文郷帳では田方二八二石余・畑方七九〇石余、二〇〇石と八七二石余に分れて旗本小幡二氏領。江戸後期の御改革組合村高帳でも野殿で載り高一千六九一石余、各小幡領は一千四二〇石余(家数一〇五)と二七一石余(家数一三)。嘉永五年(一八五二)の宿明細帳(安中市教育委員会蔵)には安中宿の助郷村として宝永七年(一七一〇)段階の野殿村が載り、高一千七七石余で旗本小幡二氏の相給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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