デジタル大辞泉
「安中市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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安中市
あんなかし
面積:一〇一・五六平方キロ
県のほぼ南西に位置し、東は高崎市と多野郡吉井町、北は群馬郡榛名町と同郡倉淵村、西は碓氷郡松井田町、そして南は富岡市と甘楽郡妙義町に接する。
北方には八幡峰(七八五メートル)、茶臼山(五九六メートル)、石尊山(五七一メートル)、天神山(三二三メートル)などの秋間丘陵とその分岐の後閑丘陵が広がり、南には高崎市観音山方面に連なる岩野谷丘陵が広がるが、富岡市境にある崇台山(二九九メートル)などは比較的低い。南北の丘陵や山に挟まれて、碓氷川とその支流の九十九川・後閑川・秋間川・柳瀬川などがほぼ東流し、碓氷川とほぼ並行して中山道(国道一八号)と国鉄信越本線が走る。安中市内の中山道は国道一八号の板鼻―安中―原市バイパス建設によってすべて県道に編入され、板鼻地区では渋川―安中線、安中・原市地区では一本木平―小井戸―安中線、原市地区では東上秋間―原市線となった。これら東西の主要道から南北へ県道が通じている。すなわち板鼻から北へは箕郷―板鼻線、南の富岡へは高崎―富岡線、北の榛名町へ通じる下里見―安中線、雉子ヶ尾峠の安中―榛名湖線、風戸峠の東上秋間―原市線などがある。
〔原始・古代〕
旧石器時代の遺跡は板鼻古城遺跡で確認され、後期旧石器時代の石器約七〇〇点が出土した。縄文時代の土器・石器は主として南部の丘陵・台地、とくに旧東横野地区(中野谷・鷺宮・間仁田)から集中的に出土しており、次いで碓氷川と九十九川に挟まれた河岸段丘上の原市・安中地区、北部の秋間・後閑丘陵などのほか、東部の板鼻地区の北側丘陵地域からも出土例がある。昭和二九年(一九五四)偶然発見された簗瀬炉跡は縄文後期の加曾利BI式土器を埋甕にしており、東方約一キロの原市下原からは同三四年に多数の出土があった。上間仁田の道前久保遺跡からは前期五軒、後期二軒の住居跡が調査された。弥生時代に入ると注連引原II遺跡から、環濠をめぐらした住居跡が中期前半とみられる条痕文・工字文の土器を伴って発見され、中後閑芝原や中野谷からも沈線文様をもった土器が出土しており、土器の一部は再葬墓として使用されたとみられる。大半は後期のいわゆる樽式土器とよばれる櫛状施具を使った波状文と簾状文を付した壺・甕型土器であり、鷺宮・中野谷・西上磯部辺りから出土している。
古墳時代をみると、「上毛古墳綜覧」(昭和一三年刊)には一八二基の古墳が登録されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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安中〔市〕
あんなか
群馬県西部,碓氷川の上・中流域を占める市。西で長野県に接する。 1955年安中町,原市町,磯部町,板鼻町の4町と後閑村,東横野村,岩野谷村,秋間村の4村が合体して安中町となり,1958年市制。 2006年松井田町と合体。中心市街地の安中は古くは野後 (のじり) と呼ばれたが,永禄2 (1559) 年安中忠政の築城により安中と改称。寛政2 (1749) 年から明治初年まで板倉氏3万石の城下町で,北部にその城跡がある。また市内の板鼻,原市,坂本とともに中山道の宿場町,市場町として栄え,安中-原市間の街道沿いに国の天然記念物のスギ並木が残る。横川には碓氷関所跡がある。亜鉛工場があり,工業都市として発展したが,カドミウム汚染が農作物に大きな被害を与えて問題となった。安中中宿の燈籠人形は国の重要無形民俗文化財に,碓氷峠鉄道施設は国の重要文化財に指定されている。市域北西部は上信越高原国立公園に,南西部は妙義荒船佐久高原国定公園に属する。 1997年北陸新幹線が開通,北部の東上秋間に安中榛名駅が新設された。 JR信越本線,国道 18号線が通り,沿線に磯部温泉がある。上信越自動車道のインターチェンジがある。面積 276.31km2。人口 5万4907(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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