日本歴史地名大系 「野殿村」の解説
野殿村
のどのむら
        
              - 茨城県:下館市
- 野殿村
[現在地名]下館市野殿
<資料は省略されています>
とあり、野殿郷が須賀神社の十二天の祭田として寄進されている。文明一〇年(一四七八)水谷勝氏が下館に築城後、同氏の支配地となり、同一三年水谷氏は下館城四方の守りの一つとして、下妻口にあたる当村に佐藤源兵衛を配置する(下館市史)。水谷氏の南方にあって競争相手でもある多賀谷氏との抗争に、天正七年(一五七九)の不動坂の戦いがあり、「多賀谷旧記」に「下館水野谷之勢州居辺境之士出テ遊 猟ス黒子ノ原
猟ス黒子ノ原 下妻ナリ、近里侍対
下妻ナリ、近里侍対 之不意ニ争
之不意ニ争 英雄
英雄 、下館ノ士退去ス、佗後ニ又如
、下館ノ士退去ス、佗後ニ又如 先出
先出 黒子
黒子 相
相 逢不動坂
逢不動坂 或曰鳥坂在野殿村、互ニ欲
或曰鳥坂在野殿村、互ニ欲 決
決 勝負
勝負 」と記される。
」と記される。
野殿村
のどのむら
              出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

