中野高畑村(読み)なかのたかばたむら

日本歴史地名大系 「中野高畑村」の解説

中野高畑村
なかのたかばたむら

[現在地名]中村区亀島かめじま則武のりたけ

東は城下町続の広井ひろい村に、南は中島なかしま村などに接し、村東端部を笈瀬おいせ川が南へ流れる。村内南部中央に中島村集落が突出している形となり、当村の集落が東西に分れ、東を字高畑といい西を字中野という。寛文一一年(一六七一)の家数七一、人数三八七(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田八八町九反余・畑一一町八反九畝弱。概高一千八三二石余のうち一千七八一石余が藩士二九人の給知。「古来中野高畑村ハ大戸アリテ僮僕ヲツカフ者モ多クアリシカ、漸々ニ戸口衰耗シ、今ハ栄村大秋村中島村ヘ多ク掟作アリシトナリ」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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