中食満村
なかけまむら
[現在地名]尼崎市食満五―七丁目・田能一―二丁目・東園田町三丁目
上食満村の南に位置し、村内を藻川が南流する。南部の下食満村との境界には複雑な入組み・飛地がある。字名は川東に四ノ坪・八ノ坪など、居村側に河原部・城田(じょうでん・しろた)・神田(じんで・かんだ)・古宮・クツワがある。政所方書(内閣文庫蔵)に「摂州中食満東 浄花院より承、僧慶淳 同廿九」とみえ、永享一一年(一四三九)九月二九日に当地にかかわるなんらかの訴訟があったとみられる。
慶長国絵図に中飯満とみえ、高二九九石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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