丸沢常哉(読み)マルサワ ツネヤ

20世紀日本人名事典 「丸沢常哉」の解説

丸沢 常哉
マルサワ ツネヤ

明治〜昭和期の工業化学者 大阪大学名誉教授。



生年
明治16(1883)年3月17日

没年
昭和37(1962)年5月4日

出生地
新潟県

学歴〔年〕
東京帝大工科応用化学科〔明治40年〕卒

経歴
明治42年東京工試技師を経て、九州帝大助教授。44年ドイツに留学し、大正3年帰国後、九大教授として工学系理科担当。丸沢式サルファイトパルプ法の発明で名を成すが、万有還銀法事件に関与し、12年退官。14年旅順工大教授に復帰、その後阪大工学部教授、学部長を経て、昭和11年満鉄中央試験所長となり、15年退職。18年満鉄の副総裁待遇の化学工業委員会長として開発を担当、20年中央試験所長に再任。終戦後は同所の施設ソ連に、ついで24年には中国に完全に委譲。その後、中国に残留し、1年間四川省の僻村工場勤務を経て、30年帰国した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸沢常哉」の解説

丸沢常哉 まるさわ-つねや

1883-1962 明治-昭和時代の工業化学者。
明治16年3月17日生まれ。大正3年九州帝大教授。12年万有還銀術事件に関与し退官。のち旅順工科大教授,大阪帝大教授,満鉄中央試験所長などを歴任。終戦時,同試験所の施設を中国に委譲し,その後も中国にとどまり昭和30年帰国した。昭和37年5月4日死去。79歳。新潟県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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