日本歴史地名大系 「丸貫村」の解説 丸貫村まるぬきむら 埼玉県:比企郡吉見町丸貫村[現在地名]吉見町丸貫北下砂(きたしもずな)村の南にあり、南は古名(こみよう)村、西は谷口(やぐち)村。地内には貞和三年(一三四七)・至徳三年(一三八六)の阿弥陀一尊板碑や応永八年(一四〇一)の十三仏板碑がある。古くは北下砂村・古名村と一村で下砂村と称していたが、元禄郷帳・元禄国絵図作成時頃までに北部が北下砂村として分村、残余の下砂村もその後、北の当村、南の古名村の二村に分れた。元禄郷帳に下砂村高一千三三石余がみえ、これは古名村の高も含んでいたと思われる。元禄年中改定図(風土記稿)では村名に「下砂村之内」との注がある。天保郷帳に村名がみえ、高四五七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by