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荒神社(読み)あらがみしや

日本歴史地名大系 「荒神社」の解説

荒神社
あらがみしや

[現在地名]山田町船越

はまの南先端、金浜かねはま鎮座、素盞嗚尊を祀る。旧村社。釜石尾崎おさき神社の縁起に「尾崎御室、閉伊郡の舟越浦田野浜崎は本宮也、新宮は釜石村也」とある。閉伊郡の開拓者閉伊頼基の遺骸を埋葬したところといわれ、境内の南、海に近い小丘を頼基の墓と伝える。現在は約四坪ほどの地に石柵がめぐらされ、中に径二尺ばかりの自然石が置かれている。当社をはじめ陸奥唐桑からくわ(現宮城県本吉郡唐桑町)日高見ひたかみ神社、釜石尾崎神社は、いずれも崎の先端にあり、「延喜式」神名帳に載る式内大社計仙麻大島けせまおおしま神社の系統で海の神を祀り閉伊氏の尊崇した神社であろうとする説もある。


荒神社
こうじんじや

[現在地名]野迫川村大字池津川

荒神岳きたの峰山頂に鎮座。祭神火産霊ほむすび命。旧村社。縁起では、空海が紀州高野山を開くにあたって伽藍繁栄・密教守護のため勧請したが、その後荒廃して中絶、元禄六年(一六九三)高野山萱堂成就院の僧宥性が修理・再興したという。伝空海作の三宝荒神版木を所蔵し、悪疫流行・水難火難に験があり、日本三大荒神の一として全国に知られる。立里たてり荒神とも称するが、東方の現野迫川村立里との関係は不明。


荒神社
こうじんしや

荒神山の山頂南側にあり、祭神は奥津比売命・奥津比古命・火産霊神等で、権大僧都明山法印が弘長元年(一二六一)に香蓮寺を開き、弘法大師作の三面六臂の像を神璽として山内に奉祀して鎮守の神とし、のちにこの像に神鏡を配して現在の地に移して荒神社と称するようになったという(朝日村史)。また口碑によれば、樋口の地は樋口次郎兼光と関係があり、香蓮寺・荒神社ともに兼光の尊崇厚く、その遺物といわれる武具調度等が宝物として同社に伝わる。樋口氏の出自についてはつまびらかでないが、「樋口家譜」(蕗原拾葉)に「二郎兼光領上伊那之内住樋口邨、依之以樋口為家号」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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