20世紀日本人名事典 「丹波秀伯」の解説 丹波 秀伯タンバ ヒデオ 大正・昭和期の新聞人 生年明治23(1890)年10月19日 没年昭和49(1974)年10月3日 出生地三重県 学歴〔年〕東京帝国大学法科大学経済選科〔大正4年〕卒 経歴財政経済新報社を経て、大正9年朝日新聞社に入社し、整理部次長、横浜支局長、校閲部長、経済部長、論説委員、総務部長、本社参与などを歴任。国策パルプ工業の創設に協力し、戦時下の困難な新聞経営を資財面で補佐する。昭和24年退社し、社友。国策パルプ取締役、日本テレビ放送網取締役などを歴任し、39年朝日新聞社取締役、42年から46年まで朝日ビルディング代表取締役会長を務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹波秀伯」の解説 丹波秀伯 たんば-ひでお 1891-1974 大正-昭和時代の新聞記者。明治24年10月19日生まれ。大正9年東京朝日新聞社にはいり,横浜支局長,経済部長,論説委員などをつとめる。のち国策パルプ,日本テレビ,近江(おうみ)絹糸紡績,朝日新聞社などの取締役となった。昭和49年10月3日死去。82歳。三重県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by