新聞記事を取材,執筆,編集する人。記者は日本の場合,雑誌と異なって,すべて新聞社の正社員か嘱託である。日本では,明治前期,取材にあたるのは〈探訪〉〈出省方〉などと呼ばれ,記者とは区別された。よほどの難事件でないかぎり記者自身は取材せず,探訪が提出したメモや報告を記事にしたり,英字新聞の翻訳,投書の取捨選択,論説の執筆などにあたった。記者は男性に限られ日本で女性記者の第1号となったのは,1897年に報知新聞に入社した松岡(羽仁)もと子である。しかし,新聞が報道第一主義になるとまず1890年時事新報社が〈高等探訪〉を設けて政治記事について取材と同時に執筆させ,次いで91年大阪毎日新聞社が記者にも取材させるなど,しだいに探訪と記者の区別がなくなった。記者はそれまで,政治,経済などを担当する〈硬派〉と,その他を担当する〈軟派〉とに分かれていたが,20世紀に入って経営と編集が分離する傾向が強まり,現在のように政治部,社会部,外信(報)部,学芸部などといった部制をとるようになった。しかし戦時体制の確立に伴い,国家総動員法と新聞事業令に基づく言論統制団体日本新聞会が1942年設立されると,その統制規程(記者規程)によって,記者資格銓衡委員会の選考(資格要件は〈国体を明確に把持すること〉)に合格したものだけに限定され,かつ登録制となった。しかし,第2次大戦後この制度は占領軍総司令部の指令によって廃止され,従来の部制が復活した。
明治初期の言論新聞時代には〈社会の木鐸〉〈無冠の帝王〉としての気概をもっていたが,報道新聞時代になると取材上の便宜が排他的に与えられることから,それが特権意識に変じ,また不断の取材競争や,各社が1920年代末から入社試験による採用と終身雇用制を始めたことなどから,社に対する帰属意識とも結びついた。70年代以降読者から〈開かれた新聞〉の要求が起きたのは,こうした状況に対する一つの批判といえる。
執筆者:新井 直之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…取材を目的とした新聞記者・放送記者たちの組織。通常,重要なニュース・ソースである官公庁,各種団体などに部屋,設備などの提供を受けて常設され,取材拠点,本社との連絡拠点としているが,映画記者会,音楽記者会などのように特定の記者室をもたない記者クラブもある。…
※「新聞記者」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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