乾村(読み)いぬいむら

日本歴史地名大系 「乾村」の解説

乾村
いぬいむら

[現在地名]平野区加美北かみきた六丁目、生野いくの巽南たつみみなみ五丁目など

河内国渋川郡に属し、正覚寺しようがくじ村の西にある。村の南境を平野川が北西に流れる。明応二年(一四九三)の正覚寺合戦ののち正覚寺村と分離したと伝え、村名は正覚寺の北西に位置することによるという(大阪府全志)正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では高八一石余、幕府領。延宝四年(一六七六)京都所司代戸田忠昌領となり、天和二年(一六八二)まで同氏領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む