デジタル大辞泉
「平野区」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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平野区
ひらのく
面積:一五・三四平方キロ
市の最南東部に位置し、東は八尾市、北は東大阪市・生野区、西は東住吉区、南は松原市と接する。地形は平坦であるが、南東より北西にかけて低くなり、平野川が区の中央部やや北を南東から北西にかけて流れる。また、区の南端を大和川が東から西へ流れ、一部は松原市との境界となっている。西部を国道三〇九号、阪神高速大阪―松原線、東部を主要地方道大阪中央環状線が縦断し、中央北部を国道二五号、これにほぼ並行して国鉄関西本線が横断、南部を地下鉄谷町線が通る。昭和四九年(一九七四)に東住吉区より分区成立した。区名は、中・近世当地域の中心地であった平野庄・平野郷町に由来する。
〔原始―中世〕
旧石器時代から中・近世に及ぶ複合遺跡である長原遺跡からは、長原式と称される縄文時代晩期の土器群が検出された。加美遺跡は弥生時代から古墳時代を中心とした集落遺跡で、方形周溝墓からは中国後漢代の内行花文鏡の破片と碧玉製管玉、緑色凝灰岩製筒形石製品が出土した。瓜破遺跡からは貨泉が、瓜破北遺跡からは前漢鏡・後漢鏡の破片が検出され、また長原遺跡では前方後円墳と推定される大型古墳、小型方形墳が群集して検出されるなど、早くから開かれた地域であることが知られる。
古代には河内国丹比郡・渋川郡、摂津国住吉郡に属し、「和名抄」にみえる郷のうち、丹比郡依羅・三宅、渋川郡竹渕・邑智・賀美、住吉郡
全の各郷が区域に比定される。また、「万葉集」巻二〇にみえる河内国伎人郷は当区喜連の地と考えられ、「日本書紀」雄略天皇一四年正月条の呉坂は、同地を通った磯歯津道にあたるとされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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平野〔区〕
ひらの
大阪市南東端,大和川の支流平野川流域の区。 1974年,東住吉区から分離して新設。中心市街地の平野は,平野川水運と奈良街道,中高野街道 (→高野街道 ) などの会合する水陸の交通の要地で,室町時代から環濠集落を形成,朱印船貿易の末吉家をはじめ豪商が集って自治都市をなし,堺市と並ぶ商業中心地であった。江戸時代は特に河内木綿の集散地として知られた。明治時代以降,北部に関西本線が通じてから紡績,油脂工業が発達,現在は金属,機械,電機器具,製紙などの工場が多い。南部は第2次世界大戦前までは米作地であったが,戦後,公営住宅が多く建設され,住宅地となった。杭全 (くまた) 神社,大念仏寺 (国宝の書を所蔵) などの名社寺がある。近畿自動車道が通じ南東部の松原ジャンクションにより国道 25号線,479号線に連絡。地下鉄谷町線が通る。面積 15.28km2。人口 19万2152(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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