20世紀日本人名事典 「亀山弘応」の解説 亀山 弘応カメヤマ コウオウ 大正・昭和期の真言宗僧侶,社会福祉事業家 高野山真言宗管長。 生年明治25(1892)年1月10日 没年昭和51(1976)年2月3日 出生地広島県深安郡 学歴〔年〕真言宗連合京都大〔大正4年〕卒 経歴郷里の宝泉寺円海の仏門に入り、大学を終えて大正4年開教師としてハワイに渡航、9年ハワイ開教監督、昭和6年朝鮮開教監督となり教会、別院開設などに活躍した。戦後21年高野山真言宗初代宗会議長、社会部長、教学部長、宗機顧問、宿老などを歴任、47年高野山金剛峰寺座主同宗管長となった。また24年京都に嵐山寮、来楽園など養護老人ホームを開き理事長、寮長を務めて社会福祉、老人問題に寄与した。23年大僧正。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「亀山弘応」の解説 亀山弘応 かめやま-こうおう 1892-1976 大正-昭和時代の僧。明治25年1月10日生まれ。大正9年ハワイ開教監督,昭和6年朝鮮開教監督となる。21年高野山真言宗初代宗会議長,47年金剛峰寺座主,同宗管長に就任。また戦後,養護老人ホーム嵐山寮を設立するなど社会福祉に活躍した。昭和51年2月3日死去。84歳。広島県出身。真言宗連合京都大(現大正大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例