二辺塚城跡(読み)にべづかじようあと

日本歴史地名大系 「二辺塚城跡」の解説

二辺塚城跡
にべづかじようあと

[現在地名]阿蘇町黒川

阿蘇谷のほぼ中央にあり、水田面からの比高約八〇メートルのほん塚と、同じく約六〇メートルのきた塚と称する二つの独立丘陵上にある。贄塚にえづか城ともよぶ。頂上に本塚では直径三〇メートル、北塚では直径二四メートルの円形平坦地があり、これから三―四メートル下がった所に同心円状の曲輪がある。「国誌」に「又記二辺津嘉城沼中ニ丘山ノ如ク二ツ双ヘリ、何レモ城跡ト云、其間四五町ヲ隔テテ其中ハ泥沼也、大宮司代々ノ居城ト云ヘ共不分明、明応二年ノ比ハ家臣蔵原志摩守在城スト云」とあり、阿蘇家伝のうち旧伝書大明神流記を引いて、「黒川村乙姫村ノ辺リヲ上古ハ都テ浜ト云ヘリ、今贄塚ト云所ハ、阿蘇家代々ノ城地ニテ城ヲ浜ノ城ト云ヒ家ヲ浜ノ屋形ト云シナリ、故ニ後ニ矢部ニテモ猶其名ヲ称ヘリ」と記し、戦国期の阿蘇氏の本拠であるはまの館(現上益城郡矢部町)地名はここから起こったとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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