日本歴史地名大系 「黒川村」の解説
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
飛騨川支流黒川流域の山間地、
黒川村
くろかわむら
- 島根県:浜田市
- 黒川村
黒川村
くろかわむら
- 新潟県:北蒲原郡
- 黒川村
北蒲原郡の北端に位置し、西は
坂井川流域の大字坂井の
黒川村
くろがわむら
正保郷帳では高二三七石余、田方九町八反・畑方六町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高二六三石、免六ツ二歩、明暦二年(一六五六)の新田高一二石、小物成として山役二一二匁・野役四匁・苦竹役四匁、鳥役六匁(出来)であった(三箇国高物成帳)。寛文一一年の百姓数二五(「今浜村次郎右衛門組高免付帳」高松町史史料編)。
黒川村
くろがわむら
黒川村
くろかわむら
- 秋田県:横手市
- 黒川村
西は
天正一八年八月、豊臣秀吉の命令により破却された
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
- 山口県:山口市
- 黒川村
山口盆地の南端で、
中世には国衙領黒川保の地で、のち東大寺造営料とされた。
慶長五年(一六〇〇)の検地帳では黒川村として高付され、同一五年の検地帳によれば、総石高一千七三八石余、うち田が一三三町余で一千五四三石余、畠が二五町余で九七石余、ほかに市屋敷二八、小物成三石余とある。「地下上申」では庄屋が朝田村庄屋の兼務であったらしく、朝田村の支村のような扱いである。しかし村高は分けて記され、それによると総高七一九石余、田が四九町余で六四一石余、畠が八町余で七四石余とある。
黒川村
くろかわむら
- 兵庫県:川西市
- 黒川村
黒川村
くろかわむら
- 福岡県:甘木市
- 黒川村
黒川村
くろかわむら
- 広島県:大竹市
- 黒川村
黒川村
くろがわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろがわむら
黒川村
くろかわむら
元和二年(一六一六)旗本駒井領。宝永二年(一七〇五)甲州道
黒川村
くろがわむら
- 佐賀県:伊万里市
- 黒川村
慶長絵図に「黒川」とあり、正保絵図に「大黒川」とある。文化年中記録によれば「畝数二十八町三段八畝二十八歩」とある。
慶長一〇年(一六〇五)に竣工し、今日三四町歩という黒川新田は、もと
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
- 群馬県:富岡市
- 黒川村
南境を
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
村内に時代不詳の
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろがわむら
黒川村
くろかわむら
黒川村
くろかわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報