五月操(読み)サツキ ミサオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「五月操」の解説

五月 操
サツキ ミサオ


職業
俳優

本名
田中 兼松

別名
別名=市川 桃枝

生年月日
明治15年

出生地
東京府 浅草区(東京都 台東区)

経歴
13歳の時市川染五郎(のち7代目松本幸四郎)の門に入り市川桃枝と名乗る。のち五月操と改名して新派俳優となり新派の舞台に立つ。大正2年に日活向島に女形として入社し、多くの新派悲劇に出演するが、11年の女形映画廃止に伴い退社。国活映画に入るが、12年に国活が解散。以後消息不明。

没年月日
?

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む