兵庫県南西部を北から南へ流れ瀬戸内海の播磨灘に注ぐ川。流長七五・八キロ、流域面積四九六平方キロ。流長では県内で加古川に次ぎ第二位であるが、流域は比較的狭く、加古川・
姫路市域北東部の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
千葉県北西部、南は東京湾に面し、西は江戸川で東京都と接する市。1934年(昭和9)市川町と八幡(やわた)町、中山町、国分(こくぶ)村が合併して市制施行。1949年(昭和24)大柏(おおかしわ)村、1955年行徳(ぎょうとく)町、1956年南行徳町を編入。中央部をJR総武本線と京成電鉄が並行して走り、北部に北総鉄道、東部にJR武蔵野(むさしの)線、南部にJR京葉線と東京地下鉄東西線、中西部に都営地下鉄新宿線が通じる。国道14号、298号、357号、464号のほか、京葉道路、首都高速道路湾岸線、東関東自動車道、東京外環自動車道などの有料道路が通り、東京への交通は至便である。北部の台地には縄文遺跡が多く、日本初の竪穴(たてあな)住居跡が発見された姥山貝塚(うばやまかいづか)、縄文土器編年上の基準をなす堀之内貝塚(ほりのうちかいづか)などが分布する。大化改新以後は、下総国(しもうさのくに)の国府が置かれ、下総国分寺、国分尼寺も建立されて貝塚ともども国の史跡に指定されている。また、鎌倉時代に起源をもつ日蓮(にちれん)宗五大本山の一つ法華経寺(ほけきょうじ)には、日蓮真筆の『立正(りっしょう)安国論』『観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』の国宝や五重塔(1622年建立)、法華堂(室町時代建立と推定)など国指定重要文化財もあり、市川は歴史の香り豊かな市である。戦国時代、国府台(こうのだい)は里見(さとみ)氏と北条氏の戦場となり、その後、北条氏の支配を経て、江戸時代には幕府の直轄地となった。江戸川の渡し場が置かれたが、間(あい)の宿のために宿場町の発達をみなかった。しかし、行徳は江戸川と利根(とね)川水運の河港であり、成田参詣(さんけい)ルートの拠点でもあったためにぎわい、また塩田が開かれていて、経済活動は活発であった。高さ4.5メートルの常夜灯は当時のおもかげをいまに伝えている。明治以後は国府台に陸軍の施設が置かれ、軍都としての性格を強めた。鉄道の開通に伴って沿線の宅地化が進み、とくに京成電鉄線に沿って高級住宅街が開発された。
第二次世界大戦後は国府台の軍施設が学校施設に転換され、東京湾岸では埋立て工事によって京葉工業地域の一部が形成された。同時に住宅地化も著しく、1969年(昭和44)営団地下鉄(現、東京地下鉄)東西線が開通した行徳地区では、マンション、アパート、一般住宅が混在したスプロール的開発が進んだ。台地上では特産のナシ園は北方へ移動しつつあるが、野菜も生産されている。里見公園はサクラの名所として知られ、行徳には野鳥の楽園(行徳近郊緑地)や野鳥観察舎もあってレクリエーションに適する。そのほか、伝説で知られる八幡の不知藪(やぶしらず)や、真間(まま)の手児奈(てこな)霊堂もある。面積57.45平方キロメートル(一部境界未定)、人口49万6676(2020)。
[山村順次]
『『市川市史』全7巻(1971~1974・市川市)』▽『『市川・市民読本』改訂版(1979・市川市)』
兵庫県南部、神崎郡(かんざきぐん)にある町。1955年(昭和30)川辺(かわなべ)、瀬加(せか)、甘地(あまじ)、鶴居(つるい)の4村が合併、町制を施行して成立。町名は町内を南流する市川による。山地が町域の70%を占め、南北に延びる河谷沿いに集落が点在し、JR播但線(ばんたんせん)と国道312号、播但連絡道路が通る。1998年(平成10)多可(たか)町と結ぶ舟坂トンネルが貫通した。農業が中心で、米作のほかムギ、野菜栽培、酪農、花卉(かき)栽培など多角化がみられる。地場産業としてゴルフクラブ製造が盛ん。近世以前の伝承を守る甘地の獅子舞(ししまい)は県指定無形民俗文化財。面積82.67平方キロメートル、人口1万1231(2020)。
[大槻 守]
兵庫県中央部を南流して播磨灘(はりまなだ)に注ぐ川。延長75.8キロメートル。播但(ばんたん)山地の東端、粟鹿山(あわがやま)の西に発し、朝来(あさご)市の生野ダムを経て、神崎(かんざき)郡を南流する。福崎町付近から両岸に河岸段丘が発達し、下流では姫路平野を形成する。その水量と水質が臨海地域発展の原動力となった。水運は発達しなかったが、市川の谷は山陰、山陽を結ぶ重要な連絡路であり、現在はJR播但線、国道312号、播但連絡道路が走っている。
[大槻 守]
千葉県北西部の市。人口47万3919(2010)。1934年市川,八幡,中山の3町と国分村が合体して市制を施行し,その後行徳町など周辺の町村を編入した。市域は両総台地の西端から江戸川の三角州にまたがり,江戸川をはさんで東京都江戸川区に接する。中心市街の市川,八幡,中山は千葉街道の街村で,成田・木下(きおろし)両街道の分岐点に位置する行徳は近世から明治にかけて江戸川の河港であり,行徳塩田の中心として栄えた。明治末に総武鉄道(現,JR総武本線)の市川,下総中山の駅ができ,大正初めに京成電鉄が開通して東京の住宅地となり,台地西部の国府台(こうのだい)に軍施設がおかれて軍隊の町といわれ,関東大震災後には京浜工業地帯がのびて工業化が進んだ。戦災にあわなかったため第2次世界大戦後には人口が急増し,台地の旧軍用地にいくつかの大学が集まった。その後,京葉臨海工業地帯の埋立地に鉄鋼,金属などの工場が立地し,日本一の輸入港である千葉港の一部となった。東関東自動車道のインターチェンジがある。台地では野菜,畜産,果実などの近郊農業が行われ,三角州の水田はれんこんの大産地であったが,現在は埋め立てられて住宅地となっている。市内に名所,史跡が多く,市東部の姥山貝塚(史),国府台北部には堀之内貝塚(史),下総国府跡や国分寺跡があり,また西端の里見公園は1538年(天文7)と64年(永禄7)の2回にわたって安房里見氏と小田原の北条氏が激戦をした古戦場で,園内の桜と眼下の江戸川の眺望のよさで近世から行楽地となっている。台地のふもとに《万葉集》に悲恋をうたわれた真間手児名(ままのてこな)をまつる堂がある。千葉街道に沿って天然記念物の千年イチョウがいろどる下総一宮の葛飾八幡宮,平将門征伐に平貞盛が八門遁甲の陣をしいた八幡の藪不知,日蓮宗の名刹(めいさつ)中山法華経寺がある。
執筆者:菊地 利夫
兵庫県中部に発し,姫路市飾磨(しかま)で播磨灘にそそぐ川。幹川流路延長75.8km,全流域面積528km2。源流は但馬,丹波,播磨の国境の三国岳(855m)付近で,福崎町以南は河岸段丘が発達し,下流では夢前(ゆめさき)川,揖保(いぼ)川と複合三角州を形成,播磨平野の穀倉地帯となっている。市川の谷は古くから山陰道と山陽道を結ぶ最短コースの但馬街道に沿い,生野銀山の鉱石輸送路として重要であった。現在はJR播但線(1895開通),国道312号線,播但連絡有料道路がこの川に沿う。
執筆者:小森 星児
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