五箇城跡(読み)ごかじようあと

日本歴史地名大系 「五箇城跡」の解説

五箇城跡
ごかじようあと

[現在地名]峰山町字五箇

慶徳けいとく院の裏山にある。中世末の丹後国御檀家帳に「五ケの御城 石川小太郎殿石川殿の御子息惣領殿なり」とみえ、「御そうしや」として真下重郎右衛門・宮垣太郎左衛門の名が記される。石川小太郎は、加悦城(跡地は現与謝郡加悦町)の城主石川勘解由左衛門尉直経の子。城主小太郎の時と思われる天文一三年(一五四四)三月二日のこととして、縁城寺年代記(縁城寺文書)に「大谷、進藤五箇城討取、同月二十九日寅尅ニ彼両人心替而伊賀尉号夜討生害」の記事がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 居城 跡地

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む