井口堂村(読み)いぐちどうむら

日本歴史地名大系 「井口堂村」の解説

井口堂村
いぐちどうむら

[現在地名]池田市井口堂一―三丁目・鉢塚はちづか三丁目・旭丘あさひがおか三丁目・荘園そうえん一丁目・天神てんじん一丁目

尊鉢そんぱち村の東に位置し、南東辺を箕面みのお川が南西流する。村のほぼ中央を南北能勢のせ街道が通り、集落は街道沿いにある。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図に「井口村」とみえる。元和年間(一六一五―二四)以降麻田藩領。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳によると村高二七六石余。当村には枝村が一所あり、元文元年(一七三六)成立の豊島郡誌(今西家文書)に「井口堂村 新家村ノ分支アリ」とみえ、おそらく街道に沿って「新家」という集落が成立していたものと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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