降雨を農地の灌漑用水として貯水するための人工の池。降雨量や河水が少ない地域,または地下水位が低かったり河水を引きがたい地域に多く見られる。日本では現在は全国に分布しているが,関東以西,とくに讃岐平野,奈良盆地,大阪平野,播磨平野などに多く分布している。溜池は比較的容易に構築できるので古くから築造され,エジプトのファイユームにあるメリス湖は,約4000年前に造られたといわれる。溜池には大きく分けて,丘陵や台地中の山地型のものと,平地型のものとがあり,前者は集水しやすい谷底平野中に多く位置し,後者は取水量が少ないので河川からの水路や他の溜池と結ばれることが多く,皿池と呼ばれる。また,自己集水域にのみ依存する単独溜池と,他の溜池から水を引く親子池,重ね池という分類もできる。こうした施設体系のほか,溜池は,番水などの水利慣行にみられる水利組織をもつことも大きな特色である。溜池による灌漑は,河川灌漑に比べ,一定の稲作面積に対する水量の安定性が高く,渇水時に生ずる紛争も受益地区で処理される場合が多い。しかし,今日では溜池に代わって,大型ダムによる灌漑が広く行われつつある。また,一方では都市化地域における灌漑用溜池では都市用水の需要のため売水されたり,壊廃して都市的土地利用として使用されているところが少なくない。このような状況において,溜池をいたずらに壊廃することなく,ダムからの幹線灌漑水路から末端の水路に至る中間の貯留施設として用水の節水と効果的利用の役割を担わせたり,レクリエーション・スペースとして保存したり,本来の灌漑機能に加えて,都市化による保水・遊水地域の減少を補い,河道への降水の流出抑制機能をもつ防災溜池として利用するなど,新しい機能や多目的な利用についても,十分考慮する必要がある。寒冷地や用水温の低い地域では,水深を浅くし,灌漑水として使用する前に1~3日間貯留して水温を上昇(3~5℃)させる温水溜池の利用も行われている。
執筆者:白井 義彦
記紀の崇神,垂仁,応神,仁徳,履中,推古の記事にみえる池の築造には,帰化人の参加による大陸の技術が用いられたと推定されている。ただしこれらの池の開設者は朝廷であり,また分布は畿内に限られていた。大化以後の水利開発は全国的に普及し,国司,郡司に対して,その支配地内での水利の開発と獲得された水の公平な分配を指令した史料ははなはだ多い。有力者,貴者による用水の独占を制する政策も注目に値する。池溝の築造には広義の正税中の雑稲をあて,労力には百姓の雑徭をあてることになっていた。《延喜式》にも,国の大小にしたがい,1万束ないし4万束の修理池溝料の額の記載も見られる。このように地方官の努力によって修築された池も多く,地方民の頑迷を諭して成就した例も少なくない。空海による満濃池修築(再築)の伝えは著名である。上述の明るい面の反対に,築造をめぐる地方官の怠慢や腐敗を示す事例もいくつか残っている。
中世の溜池の築造や池水の管理については,荘園的性格を濃厚にもっていたことが特色である。大和国の法隆寺,西大寺の池では,池の領有者(寺)による管理形態が明白で,寺には奉行または池守(いけもり)があり,郷民から選ばれた〈井守〉の存在が明らかである。築造者は領主たる寺であり,労力は農民の賦役,維持の費用としては段米(たんまい)徴集が行われていた。荘園領主経営の池は個々の荘園を対象とする小規模なものが多かったが,その池床が売買・譲渡・寄進・貸借の対象となり,果ては引水権も分裂して,結局土地から離れて売買・譲与せられるものさえ生じている。中世の溜池には大規模なものは少ないが,能率的な利用という点では発展した面もあった。領主の経営になった溜池の水は,それの通過する(利用する)下流域の村々をして用水路敷の借地料に相当する〈井料〉と称する財物(多くは米)の授受を条件としている場合もはなはだ多い。室町期,ことに戦国期以降になると,武士・地頭による池の奪取,荘園あるいは村落相互間の自治的結合による自主的な支配が多くなる。
戦国末から江戸初期にかけては,日本において溜池築造のもっとも隆盛を極めた時代であった。これらの事実を基礎に各種の農書にも,溜池築造の適地の選定や,築造技術の詳細な諸事項についての論述が数多く見いだされる。熊沢蕃山は池の築造の地盤に着目し,まず〈根切り〉を行うことを説き,池底からの漏水を防ぐべく,池床の底を堅固に固め,堤は十分に幅広く堅固に,十分の人夫を投じて築くべしとし,佐藤信淵は《堤防溝洫志》に,溜池は土地が高く川水を用水に引き揚げ難い所に築くとし,まず,よく谷川・清水のある場所を考え,その山の形状にしたがって,3方,2方,あるいは丸堤(池の全周を堤で囲む)を築いて谷水を蓄え,堤の大小は溜池面積の広狭に準じ,勾配は内法(うちのり)7寸5分,外法5寸が法であり,堤の内腹は〈ハセネリ〉と称する土性のよい真土(まつち)で塗り込み,下地をよく突き固めておけば漏水がないとしている。また《地方の聞書(才蔵記)》には,よい池とは堤が短く池の内が広く,床はよくつみ,打樋(うちひ)(用水を流し出す樋の位置)は岩か,もし土であっても,水の当たる所は堅い土の場所がよい(池の決壊は樋の場所の崩壊による実例が多い),池床の深浅は両側に山の立つ所は床が浅く,平地の場合は深く,谷に常に水のある所は浅く(すぐ下が岩盤であるから),少々の降雨にも谷底に水のない所は岩盤までが深いから池床には不適であるなどと詳細に述べている。樋の位置と並んで悪水吐口(はけぐち)についても,その付けようが悪ければ,洪水で堤が切れるものである等とある。
河内国の狭山池が中世の長期にわたって,また再興後の江戸中期においても十分に機能し得なかったのは,排水口(おもに西除け)の崩壊によるところが大きかった。明治初年の再興後,戦後に完成した讃岐満濃池の堤嵩(かさ)上げ(50%の貯水量の増加を見た)以前の吐口は,天然の岩盤の中をくり抜いて設けられていた。樋としては堤の土中へ横に伏せる〈埋樋〉があるが,大池の場合には堤へ縦に取り付け,樋に数ヵ所上から下へ順々に径3.4寸(10cm)内外の穴をあけて栓を差し込み,溜水の水位の低下に伴って上から順次栓を抜き底水までも流出させる尺八樋がある。1631年(寛永8)から1854年(安政1)までの満濃池樋は5段の立樋をもつ典型的な尺八樋であり,狭山池の西樋,中樋も尺八樋管であった。
溜池は灌漑用水源として,全国的にも河川に次ぐ重要性をもち,全水田面積の20%余がこれに依存し,香川・奈良・大阪の諸府県はとくに溜池依存率が大きく,香川などは70%内外に達している。
古代の池に天然の良位置をもつものが多く,新しい時代のものほど,堤が長く(丸堤も少なくない)池床が浅く非能率的ないわゆる〈皿池〉の多くなるのはやむをえぬところである。満濃池をもつ讃岐国丸亀平野の北部海岸近くの多くの池はいずれも丸堤の皿池である。大部分が平地に耕地を壊して築いたものだからである。上流からの河川水を取り溜めるに伴って起こった池底への土砂の滞留による貯水量の減少(機能の減少)と,樋や排水口近傍の工事の弱さから避けられぬ,技術上の弱点から生じた堤防の決壊が,池の廃絶・衰滅の原因となっていることが多い。大規模な溜池の適地は必ずしも多くはない。1184年(元暦1)の決壊後,満濃池床は400余年間放置せられ,1631年(寛永8)の再興までの間に,池底の地は再び開拓され,山田500余石の〈池内村〉が生まれていたほどであったが,地頭矢原氏の決断によって代地を与えられ,現在に元通りの池として続いているのは好事例である。江戸初期,尾張藩初代徳川義直の手によって村落の移転を断行して新たに築造されたものに,愛知県犬山市南東方に現在も位置する入鹿(いるか)池の例がある。移転した2ヵ村の住民は池の潤すいくつかの村々に接して,〈入鹿新田〉の名を冠して現在も存在している。
執筆者:喜多村 俊夫
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現赤坂一―三丁目の北東辺と現千代田区との境界上、江戸城南西の外曲輪に造成された堀。
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東京都港区北部にあった旧沼沢地および旧地区名。江戸時代、四谷(よつや)から流れてきた川が流れ込む沼沢地があり、その名のように溜(た)まっていた。この溜池は江戸城外濠(そとぼり)の役目をもつとともに、玉川上水が完成するまでは飲料水にも用いられた。明治中期、池は埋め立てられ、地名として残ったが、その地名も赤坂1~2丁目に変わった。現在では、六本木通りと外堀通りが交わる溜池交差点や東京地下鉄銀座線・南北線の溜池山王駅(ためいけさんのうえき)に名が残る。付近は赤坂の料亭街や外堀通りとなっている。
[沢田 清]
稲作のための灌漑(かんがい)用水を蓄えておく池。河川などの用水が得られない地域、山間の棚田(たなだ)地帯などにつくられている。溜池は、稲作期間に干魃(かんばつ)のおこりやすい地域、とくに中国地方、四国地方などに昔から大・小規模のものが数多くつくられ、たとえば香川県にある満濃(まんのう)池(821年弘法(こうぼう)大師修築)などが代表的なものである。全国の水田のうち約18%が溜池灌漑によっており、とくに香川県は70%余が溜池に依存している。溜池は配水の時期、地形や面積に応じた配水の計画がたてられ、組織的に用水が利用される。最近は溜池灌漑地帯にもダムその他の水利施設がつくられるようになり、灌漑のための溜池の重要性が失われつつある。
[星川清親]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…このような河川水依存は日本の灌漑面積の88%に達する。その他は溜池や地下水利用などによっている。水源から灌漑地区まで水路によって送水され,地区内では需要に応じた配水がされる。…
…初期の前方後円墳が尾根の先端に作られたとき,その側谷には古来の谷田が開かれていたと思われる。その谷奥に土堰堤を築いて溜池を作れば,谷口の用水は豊富になり,稲作は安定する。その余水を使って谷外の平たん部に田を開くことも可能になる。…
…山間部などで,ダムで河川の水をせき止めてつくられる。小規模なものを溜池という。渇水時に上水道用,農業用または発電用に水を補給するためのものであるが,近年は洪水調節を目的に含む貯水池がつくられており,洪水期には貯水池の水位を下げておき,洪水を貯留することによって下流の洪水被害を軽減するとともに,水利用にも役だてようとしたものがある。…
※「溜池」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
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