池田市(読み)イケダシ

デジタル大辞泉 「池田市」の意味・読み・例文・類語

いけだ‐し【池田市】

池田

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「池田市」の解説

池田市
いけだし

面積:二一・七三平方キロ

大阪府の北西部に位置する。市域は南北に長く、西は兵庫県川西かわにし市、南西は同県伊丹いたみ市、北と東は箕面みのお市、南東は豊中市と接する。北部は北摂山地の支脈帯で、市の中央部の五月さつき山まで延びる。南部は市の西側を南流する猪名いな川の沖積平野で、大阪平野の北辺部を構成している。市の北西部を南西流し猪名川に合流する久安寺きゆうあんじ(上流では余野川)、南東部を南西流し伊丹市域で猪名川に合流する箕面川がある。市域はかつて豊島てしま郡に属し、市名ともなった池田の地名はもと川辺かわべ小坂田おさかでん(現伊丹市)にあったという式内社伊居太いけだ神社の遷座にちなむともいわれるが不詳。

〔原始〕

現在のところ市域から先土器時代の遺物は確認されていない。縄文時代の遺物としては五月山南西麓および市の南東部箕面川近くから石鏃・刃器・石斧・石棒など石器類が検出されている。しかし、土器は検出されておらず当地方は狩猟の場であったのではないかと推定されている。弥生時代中期になると竪穴住居跡一〇棟・方形周溝墓二〇基などと土器類各種を含む大集落跡宮之前みやのまえ遺跡があり、後期になると五月山公園遺跡・神田こうだ遺跡・愛宕あたご神社鳥居付近遺跡など多くなる。前期古墳には五月丘の茶臼山ちやうすやま古墳・娯三堂ごさんどう古墳、後期古墳には鉢塚はちづか古墳をはじめ二子塚ふたごづか狐塚きつねづか脇塚わきづか野田塚のだづかなどがある。

〔古代〕

「日本書紀」仁徳天皇三八年七月条に「猪名県の佐伯部、苞苴献れり」とみえる猪名県は、猪名川を挟んで旧川辺郡(現兵庫県)と旧豊島郡域にまたがっていたと推定されており、当市域も同県に属する地であったとされる。また佐伯部の居住地域は五月山周辺といわれ、五月山は佐伯山の転訛とする説もある(大日本地名辞書)。宝亀一一年(七八〇)西大寺資財流記帳(内閣文庫蔵)に「豊島郡佐伯村」がみえるが、前述佐伯部との関係が考えられる。

当市域はほぼ豊島郡北条に属し、条里制地割遺構が久安寺川流域の細川ほそかわ地区にみられる。「和名抄」東急本によると豊島郡に七郷あったが、そのうち秦上はたのかみ郷・秦下はたのしも郷および豊島郷の大部分が当市域に比定されている。秦上・秦下の郷名が示すように山城・大和・河内の諸国とともに渡来系の有力氏族秦氏の畿内における一拠点であった。坂上系図に平安時代中期、倭漢氏系の坂上氏の枝氏である河内土師氏の正任が当地に移り、呉庭くれはの開発領主となったことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「池田市」の意味・わかりやすい解説

池田〔市〕
いけだ

大阪府北西部の市。1939年市制。中心市街地の池田は,古代,大陸からの渡来人呉織(くれはとり),穴織(あなはとり)の居住地といわれる(→阿知使主)。14世紀に池田教依が築城戦国時代末期まで城下町。城主荒木村重織田信長に滅ぼされて廃城となった。江戸時代以降は猪名川の谷口市場町として繁栄。酒醸造業で知られた。1910年阪急電鉄宝塚線開通後は大阪の衛星都市として発展。今日では古くからの醸造業は衰え,自動車などの近代工業が立地。農村部では植木,花卉,果樹などの園芸農業が行なわれ,植木市は有名。呉服神社(くれはじんじゃ),伊古多神社,池田城跡城山などの旧跡や,国指定重要文化財を有する久安寺(きゅうあんじ),逸翁美術館,五月山公園などがある。市域南部を国道171号線,中国自動車道が通り,中国池田インターチェンジがあり,市域西部を国道173号線,423号線が分岐北上。面積 22.14km2。人口 10万4993(2020)。

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