大阪府北西部にある住宅都市。1956年(昭和31)箕面町が豊川(とよかわ)村を編入して市制施行。阪急電鉄箕面線、国道171号(西国街道)、423号(新御堂筋)、新名神高速道路が通じる。市域の大部分は老ノ坂(おいのさか)山地で、南縁を断層崖(がい)で限られ、千里丘陵(せんりきゅうりょう)との間に扇状地が展開する。市域中西部を南流する箕面川沿いには、鉢伏(はちぶせ)山・天上ヶ岳の総称箕面山(国指定名勝)、高さ33メートルの箕面滝などの自然景観に富み、またもみじの名所として知られる。西国三十三所第23番札所の勝尾寺(かつおじ)や瀧安寺(りゅうあんじ)などの古刹(こさつ)もあって明治の森箕面国定公園に指定されている。南部の待兼山(まちかねやま)山麓(ろく)の瀬川(せがわ)はかつて西国街道の宿駅であった。明治末に箕面有馬(ありま)電気軌道(現、阪急電鉄箕面線)が開通してから住宅開発が進み、第二次世界大戦後は公団住宅などが進出し、大阪府下有数のベッドタウンとなった。箕面駅北側には箕面温泉、府営箕面公園と昆虫館がある。北部山間地区はかつて池田炭の生産の中心であったが、果樹やシイタケ栽培にかわった。山林開発による霊園も多い。1966年千里丘陵には船場(せんば)繊維卸商団地が設置された。「勝尾寺旧境内牓示(ぼうじ)八天石蔵および町石」は国指定史跡。面積47.90平方キロメートル、人口13万6868(2020)。
[樋口節夫]
『『箕面市史』全9冊(1964~1977・箕面市)』
大阪府北西部の市。1956年市制。人口12万9895(2010)。市域の大半は山地で,旧箕面町は箕面川が平野に出る谷口に発達した。北部の山地と南部の千里丘陵にはさまれた低地には西国街道(現,国道171号線)が通り,瀬川は宿場として発達した。1910年に箕面有馬電気軌道(現,阪急箕面線・宝塚線)が大阪との間に開通し,これ以後,雑木林を切り開いて住宅街が形成され,とくに75年ころからの人口増加が急激であった。近くに伊丹,池田の酒造地を控え,市域東部は酒米の生産で知られ,またワタやナタネなども栽培されたが,現在では野菜,花卉の栽培に転換している。国道171号線沿いには自動車修理工場や倉庫などが進出し,工業化が進みつつある。新御堂筋(しんみどうすじ)(国道423号線)が国道171号線と交差する付近には,200社をこえる船場(せんば)の繊維卸商が進出して繊維団地を建設した。明治の森箕面国定公園には,自然動物園(1977年閉鎖。ただし従来通り箕面山のサル生息地は国の天然記念物に指定されている)のほか,西国三十三所23番札所勝尾寺や四大弁才天の一つ滝安(ろうあん)寺(箕面寺),箕面滝などがある。
執筆者:秋山 道雄
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