日本歴史地名大系 「井辺村」の解説 井辺村いんべむら 和歌山県:和歌山市河南地区井辺村[現在地名]和歌山市井辺大日(だいにち)山(一四一・八メートル)の南西麓、福飯(ふくいい)ヶ峯(一〇二・二メートル)の北麓にある。名草(なくさ)郡に属し、神前(こうざき)村の北東にあたり、北を鳴神(なるかみ)村と接する。小名に新田(しんでん)がある。古代忌部(いんべ)郷(和名抄)、中世日前宮領忌部郷の地で、永仁三年(一二九五)の諸郷奉分田所当注文写(国立史料館蔵)によると同郷に百姓名三名・出作・当出作・預所名・刀禰名・刀禰公事料があった。除米のなかには臨時御祭料・現覚寺仏餉米などがある。 井辺村いのべむら 京都府:竹野郡弥栄町井辺村[現在地名]弥栄町字井辺尾坂(おさか)山の南麓、鳥取(とつとり)村の北東に隣接し、東側は竹野川沿いに水田が開ける。慶長検地郷村帳に高一八五・三四石「井辺村」とあり、延宝九年(一六八一)の延高で二三三石余となった(天和元年宮津領村高帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by