京極高国時代宮津城下絵図(読み)きようごくたかくにじだいみやづじようかえず

日本歴史地名大系 の解説

京極高国時代宮津城下絵図
きようごくたかくにじだいみやづじようかえず

七六×七九センチ

成立 推定承応三年―寛文六年頃 宮津市沼野桃代氏蔵

解説 標題仮称。図左上に「丹後宮津城主京極丹後守 大泉藤子馨所□」と記す。宮津城東部(現宮津市字安智)に「御隠居所」が記されるから、ここにいう丹後守は京極高国と考えられる。城郭部・内外堀、武家屋敷・人名、町家部分町名、寺社・山地等色別に記す。城郭部の入った絵図として、宮津市長尾家蔵絵図は年代不詳であるが、この京極時代図以後、岸和田家蔵弘化二年図以前のもの。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む