京橋下片原町
きようばししもかたはらまち
[現在地名]彦根市本町二―三丁目
内曲輪と内町を結ぶ京橋口御門橋から南へ京橋通が通る。この通りの西方より内堀沿いに立地、東方は京橋上片原町。上級家臣の居住地で、町名は単に下片原町とも。慶安四年(一六五一)の家並帳(彦根市史)に町名がみえ、禄高一千石以上の武士一人、一千―五〇〇石が六人、五〇〇―一〇〇石が四人確認され、江戸後期には弓鉄砲組頭の吉川氏(禄高四〇〇石)・杉原氏(同)、十一口番頭の長野氏、筋奉行の黒柳氏・杉原氏、目付の海老江氏、藩主様賄いの佐藤氏、表医師津田氏などが住していた(井伊家役人帳など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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