精選版 日本国語大辞典 「目付」の意味・読み・例文・類語
めっか・る【目付】
め‐つき【目付】
めっ・ける【目付】
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室町時代には侍所(さむらいどころ)所司代の下で盗賊追捕(ついぶ)などに従った者、戦国~織豊(しょくほう)期には敵情偵察や戦功の査察、武将の施政監察などにあたった者をいう。江戸時代には幕府、諸藩の職名。幕府の目付は、慶長(けいちょう)・元和(げんな)期(1596~1624)より置かれ、人数は初め十数人から二十数人に及んだが、1732年(享保17)以降10人に固定し、十人目付と称された。若年寄に属して、江戸城内外の査察、殿中礼法の指揮、評定所(ひょうじょうしょ)立会い、万石以下急養子の判元見届け、御成(おなり)の行列の監督などを勤めた。また常時、本番・加番2人の目付が城内に宿直し、非常に備えた。幕末に増員され、外国掛、海防掛などの職務を分掌した。布衣(ほい)の職で、1665年(寛文5)役料500俵を支給(1682年、家禄(かろく)に加えられる)。1723年(享保8)制定の役高は1000石とされた。西の丸にも置かれ、初めは臨時の職であったが、1724年以降常置となった。同名の職は諸藩にも置かれ、職掌は多岐にわたった。
[松尾美恵子]
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江戸幕府の職名。おもに監察にあたる者をいった。1617年(元和3)頃設置。人数は,はじめ不定。1732年(享保17)10人(十人目付),幕末期には30人に増員された。若年寄支配。老中や若年寄の耳目として,旗本・御家人の監察を任としたが,その他江戸城内の巡察,消防の監視,将軍の供奉,評定所出座,法令伝達,願書などの評議,勝手掛,日記掛,町方掛,幕末期には外国掛,海防掛など,職掌は多岐にわたった。藩により同様の制度を用いたところもある。老中の耳目となって諸大名を監察する職制として大目付がおかれた。
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…若年寄の支配に属し,役高は1000石,格は布衣,詰所は菊之間南御襖際。平時には,将軍の代替りごとに諸国を巡回して大名の治績動静を視察し(諸国巡見使),あるいは幼少の大大名のもとへ多く赴任し,その後見監督に当たり(国目付),あるいは城の受渡しのときにその場に臨んで監督するなど,すべて幕府の上使を務めた。また二条,大坂,駿府,甲府などの要地にも目付として出張し,遠国役人の能否を監察した。…
…その存在は幕府創設後かなり早くから認められるが,1635年(寛永12)に規則が初めて成文化された。構成員の中心は寺社,町,勘定の三奉行で,これに大目付,目付が審理に加わり,勘定所からの出向者を主とする留役(とめやく)(書記)が実務を担当した。初期には老中も出席したが,1660年代(寛文年間)ごろに寄合(会議)が式日(しきじつ),立合,内寄合(うちよりあい)の3種に分かれて,老中は式日にのみ出座することになり,さらに1720年(享保5)からは月1回出座となった。…
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