仏光寺通
ぶつこうじどおり
平安京開設の際に開かれた五条坊門小路にほぼ該当。綾小路通の一筋南を東西に貫通。「坊目誌」には、「東は寺町に起り、西は大宮西方に至り郡界に接す。(中略)文明以来荒涼に属し、天正中再開する所なり」とある。
康和五年(一一〇三)一一月一六日には、「五条坊門南、五条北、東洞院西、町尻東」(中右記)が、仁平三年(一一五三)四月一五日には「五条坊門以南、六条以北、東洞院以西、西洞院以東」(同書)が各々焼亡している。
本通りの呼称は、天正一四年(一五八六)仏光寺が東山渋谷(現東山区)より五条坊門高倉の地に移転した後に付けられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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