日本大百科全書(ニッポニカ) 「仏陀耶舎」の意味・わかりやすい解説
仏陀耶舎
ぶっだやしゃ
生没年不詳。4~5世紀のインドの僧。サンスクリット名ブッダヤシャBuddhayaśasの音写。また覚名(かくめい)、覚明(かくみょう)と意訳される。罽賓(けいひん)(カシミール)の人。13歳で出家し、大小乗経数百万言を記憶したという。沙勒(しゃろく)国で太子達摩弗多(だつまふった)の厚遇を受けた。そのころ亀茲(きじ)(クチャ)からきた鳩摩羅什(くまらじゅう)の師として教え、のち亀茲、姑蔵(こぞう)に赴く。さらに羅什に招ぜられて408年(弘始10)長安に入り、中寺に住して『四分律(しぶんりつ)』『四分戒本』『長阿含経(ちょうあごんきょう)』を訳した。412年、罽賓に帰ったが、その終焉(しゅうえん)の地は知られていない。髭(ひげ)が赤かったので赤髭毘婆沙(しゃくしびばしゃ)ともいわれ、また、よく毘婆沙論などを理解したので大毘婆沙ともいわれる。廬山(ろざん)十八賢の一にも数えられる。
[丘山 新 2016年12月12日]