カシミール(読み)かしみーる(英語表記)Kashmir

翻訳|Kashmir

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カシミール」の意味・わかりやすい解説

カシミール
かしみーる
Kashmir

インド亜大陸の北西部に位置する山岳地域。古くからインドチベット、中央アジア方面との交通の要衝にあたり、現在もインド、パキスタンアフガニスタン、中国が国境を接し、タジキスタンにも近いことから、国境をめぐっての争いが絶えない。1947~1948年の第一次印パ戦争の結果、1949年に暫定国境線が引かれた。カシミール全域の面積は約22万2200平方キロメートル(日本の本州にほぼ等しい)で、そのうちインド管轄地域約10万1400平方キロメートル(45.6%)はジャム・カシミール州となっており、人口約1007万(2001年インド国勢調査)、州都はスリナガル(ただし冬季はジャムに移動)である。パキスタン管轄地域は(1)アザド(自由)・カシミール、(2)ギルギット・バルティスターン(2009年に「北方地域」を改称。パキスタンは、(2)はカシミールではないと主張)。パキスタン管轄地域の合計面積は約7万8100平方キロメートル(35.1%)、人口約414万(2001年推計)。また、1962年の中印紛争により、インド側のリンツェタン高原約3万7600平方キロメートル(16.9%、人口微少)が中国の管轄下に入り、アクサイチン地方とよばれる。さらに中国は1963年にパキスタンとの条約により「カラコルム横断地域」約5200平方キロメートル(2.3%、人口微少)も自国の管轄下に置くことになった。

[林 正久・深町宏樹]

地形・気候

地形的特徴をみると、K2(ケートゥー)、ガッシャブルムなど8000メートル級の高峰とヒスパー、バルトロなど長大な氷河を有するカラコルムと、ナンガ・パルバト、ヌン・クンをはじめとして6000~7000メートル級の峰を有する大ヒマラヤの二大山脈が、北西―南東方向に走る。これらを切り込んで、インダス川とその支流ショーク川、チェナブ川などが縦谷をなす。カラコルムの東には、チベット高原の延長にあたるリンツェタン高原が高度4500メートルをもって接する。大ヒマラヤの西には、小ヒマラヤのピル・パンジャル山脈が4000メートルの高度を有して平原部との地形境界をなす。さらに、漸移地帯としてシワリク丘陵が並行して走り、ジャム、プーンチ付近からパンジャーブ平原の一部が占める。大ヒマラヤとピル・パンジャルの間には、この地方の中心地である卵形をしたカシミール盆地が存在する。

 山岳地帯には、かつて独立した王国を築いていたギルギット、チラス、アストールスカルド、レーなど小規模な中心集落が存在し、峡谷沿いや峠越えの交通路によって結ばれている。カラコルム山脈を越えチベット、カシュガルへ通じるミンタカ峠、ヒスパー峠、カラコルム峠ヒンドゥー・クシ山脈を越えるダルコット峠などはシルク・ロードの隊商路として名高い。また、カシミール盆地と平原を結ぶバニハル峠は、アクバル帝のカシミール遠征で有名である。

 気候は、平原地域から北東の山岳地帯に向かうにつれて内陸的となり、年平均気温は低く、年降水量は減少する(ジャムで16℃、1100ミリメートル、スリナガルで12℃、650ミリメートル、レーで5℃、100ミリメートル)。ただ、年降水量はピル・パンジャル東斜面が最大の値(1500ミリメートル)を示す。カラコルム地方では、農作物、樹木の生育が悪く、燃料の確保が切実な問題となっている。

[林 正久]

住民

住民の大半は農業に従事し、米が最大の農産物である。とくにカシミール盆地では、クルとよばれる灌漑(かんがい)水路が発達し、水稲の集約的栽培が行われている。丘陵、平原地域ではトウモロコシと小麦の二毛作もみられる。山岳地帯の谷間では大麦、ソバ、豆類、綿花も生産されるが、その量は多くない。全体として食糧は自給できず、他地域に依存している。ほかにケシ、サフラン、菜種などの換金作物もつくられる。小ヒマラヤの木材をはじめ、リンゴ、クルミ、アンズなどの果実も重要な商品である。牧畜は広く行われ、羊毛用のヤギ、ヒツジの飼育が盛んである。小ヒマラヤではマルグmarg(ヨーロッパ・アルプスのアルプと同義)とよばれる山岳草原を利用した移牧が営まれ、水牛の群れを率いてミルクを売りながら移動する半遊牧民グジャなどもみられる。カラコルム、大ヒマラヤ山中では、遊牧が一般的で、ウシ、ヒツジのほか、輸送手段としてヤクが飼育されている。

 本地域の住民は、ジャム県でヒンドゥー教徒が過半数を占めているのを除けば、イスラム教徒が圧倒的に多く、インド領の公用語もパキスタンと同じくウルドゥー語である。山岳地域では、アーリア系、モンゴル系など民族も多様で、仏教徒、チベット仏教(ラマ教)徒もみられる。

 美しい山岳景観、峡谷の風光や冷涼な気候を生かした避暑・保養地としての観光産業が大きな期待を集めており、カシミール盆地では、州都スリナガルをはじめ、鉱泉のアナントナグ、ハウスボートの浮かぶダル湖、山間避暑地のグルマルグ、ソナマルグなどが多くの観光客でにぎわう。

[林 正久]

歴史

カシミールは長い間ヒンドゥー文化の一大中心地として栄えたが、14世紀にはイスラム圏に入り、1587~1752年にはムガル帝国の版図に入っていた。その後イギリス植民地としての「インド帝国」の時代(1877~1947年)を経て、1947年8月にインドとパキスタンが独立した。1941年のインド国勢調査によると、当時のカシミール住民の76.4%はイスラム教徒であった。パキスタンにとっては、イスラム教徒多住地域を束ねた国家建設を目ざす国家理念からして、カシミールはパキスタンに帰属すべき地域なのである。他方、インドは多宗教国家としての国家理念に基づいた国である。ヒンドゥー教徒であったカシミール藩王は、最終的にはカシミールのインド帰属を決定した。そのため独立直後の印パ両国は、カシミールの領有権をめぐって1947年10月~1948年12月に印パ戦争に突入した。国連の調停も奏功して印パ両国間のカシミール領有区分が画定され、現在まで大きな変化はない。

 しかし現実には、インドは「カシミール」全領域をインド領と主張し、パキスタンは中国管轄領以外の全地域がパキスタンに帰属すべきだと主張する。1948年8月、カシミールが印パいずれに帰属するかにかかわる住民投票実施の国連決議が採択されたが、インドの反対で2010年時点ではまだ実施されていない。印パ間の「カシミール問題」は単なる領土争いではなく、既述のように宗教を軸とし、妥協を許さない国家論の相異が印パ間に厳存する。いわゆる「カシミール問題」は印パ間の領土問題であると同時に両国の国内問題(とくに国民統合)と不可分の問題なのである。1989年からは新たな要因が加わった。すなわち、インドのジャム・カシミール州のイスラム教徒たちの間にパキスタン合併運動だけでなく、独立運動が発生し、継続している。また、アフガニスタンに駐留していたソ連軍が1989年に完全撤退したあと、パキスタンおよびアフガニスタンの反インド・イスラム教徒勢力が、さらに1990年代後半からはタリバン勢力も、カシミールのインド管轄地域に大規模潜入するようになり、問題化している。

[深町宏樹]


カシミール(大王)
かしみーる

カジミェシュ(3世)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カシミール」の意味・わかりやすい解説

カシミール
Kashmir

インド亜大陸北西部の地域。北と東は中国,北西はアフガニスタン,西はパキスタンと境を接するが,帰属をめぐりインドとパキスタン,国境をめぐりインドと中国の係争地となっている。ほとんどが険しい山地で,カラコルム山脈,ラダック山脈,ザスカール山脈,ヒマラヤ山脈,ピルパンジャル山脈などの諸山脈が,ほぼ平行して北西から南東方向に走り,カラコルム山脈の K2 (8611m) やナンガパルバット (8126m) などの高峰がある。1586年ムガル帝国の支配下に入り,1819年パンジャブのシク教徒の君主の統治に帰し,1846年から 1947年まで,ラージプートのグラーブ・シン一族の藩王国(→インド藩王国)であった。1947年インドとパキスタンの分離独立に伴い,この地の帰属をめぐり第1次印パ戦争が勃発。1949年1月,国際連合の調停により,1300kmの暫定停戦ラインを画定した。その後も紛争が絶えず,1959年には北東部のラダック地区でインドと中国間の争いが起こり,3年後に停戦。1965年に第2次印パ戦争が,さらに 1971年にも第3次印パ戦争が起こった (→カシミール紛争中印国境紛争) 。紛争後の 1972年のシムラ協定により,停戦ラインを挟んで,北部 (バルチスターンギルギット) ,北東部 (北ラダック) ,西端部 (アザドカシミール准州) をパキスタンが,他の地域 (約 60%,ジャンム・カシミール州) をインドがそれぞれ管理することが決定した。灌漑によって米,トウモロコシ,ゴマ,コムギを産し,林業,果樹栽培,畜産も盛ん。スリナガルを中心にショール,カーペット,毛布,フェルトなどの製造が行なわれる。高級薄地毛織物カシミアに用いられるカシミアヤギの原産地としても知られる。南西部のジャンム地方ではヒンドゥー教徒とシク教徒が大半を占め,東部のラダックではラマ教徒が多いが,住民のほとんど(約 70%)がパキスタン同様にイスラム教徒であり,このことがカシミールのインドへの帰属を難航させる原因となった。1990年代初めから,インド管理地域でのイスラム教徒過激派によるインドからの分離運動が活発になった。総面積約 22万2200km2

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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