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住谷寅之介 すみや とらのすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

住谷寅之介 すみや-とらのすけ

1818-1867 幕末の武士。
文政元年生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。水戸藩にくだった攘夷(じょうい)の密勅(戊午(ぼご)の密勅)を諸藩へ回達するため四国を遊説。文久3年藩主徳川慶篤(よしあつ)にしたがい京都にゆき,京師警衛指揮役となるが,慶応3年6月13日土佐高知藩士山本旗郎に暗殺された。50歳。名は信順。変名は小場源介,加藤於菟之介。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

住谷寅之介

没年:慶応3.6.13(1867.7.14)
生年:文政1(1818)
坂下門外の変に関与した尊攘派水戸藩士。諱は信順,寅之介と称す。変名は小場源介,加藤於G7EDF之介。父は水戸藩勘定奉行住谷信成,母は坂場意時の娘。天保9(1838)年床几廻,同13年弘道館舎長。弘化年間(1844~48),徳川斉昭の処罰解除運動に参加し家内禁固。安政4(1857)年馬廻組列,軍用掛見習。戊午の密勅の遵奉,安政の大獄阻止を企図し5年10月に高橋多一郎,金子教孝らの指示により大胡資敬と共に四国に遊説し坂本竜馬にその謹直さを印象づけた。7年,免職蟄居したが老中安藤信正襲撃などを指導,文久2(1862)年11月以降,藩職に復帰,江戸,京都で国事に従う中,土佐の山本旗郎に暗殺された。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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