アーノルド(読み)あーのるど(英語表記)Thomas Arnold

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーノルド」の意味・わかりやすい解説

アーノルド(Frances Hamilton Arnold)
あーのるど
Frances Hamilton Arnold
(1956― )

アメリカの生化学者。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。1979年プリンストン大学卒業(機械、航空工学専攻)、1985年カリフォルニア大学バークレー校で化学工学の博士号取得。同年博士研究員として同校で働き、翌1986年カリフォルニア工科大学(CIT、Caltech(カルテック))で客員研究員、1987年助教授、1992年準教授を経て1996年教授。自身の成果を商業化するベンチャー企業「Gevo」を2005年に、「Provivi」を2013年に創設した。

 もともと宇宙工学を専攻し、人類に役に立つ再生可能エネルギーなど新技術の研究をするためソーラー発電の研究に進んだが、1981年、生命の設計図であるDNAを操作し、新しい化学物質を開発できるのではないかとDNAの研究に方向を転換した。医薬品、プラスチック、肥料などの化学物質をつくるには、強い有機溶媒、重金属などの触媒が不可欠だったが、アーノルドはこうした反応を、酵素でつくりだすことを思いついた。当初、新しい酵素をつくるため、原料であるアミノ酸などを混ぜる従来の方法をとったが、化学反応を促進する触媒が不可欠で、その開発はコンピュータなどを駆使してもむずかしかった。そこで、自然界の「進化」に着目する新手法を思いついた。

 アーノルドは、牛乳などに含まれるタンパク質カゼインなどを分解するサブチリシンという酵素を使って、酵素進化させる研究に取り組んだ。このタンパク質分解酵素をつくる遺伝子をわざと変異しやすいようにして、細菌に入れ、ランダムに突然変異を起こし大量の酵素をつくった。通常、この酵素は水の中で反応し、有機溶媒中では反応しにくいものだが、大量に作製した酵素の中から有機溶媒中でもタンパク質を分解できるものを選び出し、さらにその遺伝子に変異を導入した。こうした「変異を導入する」「選択する」という工程を3回ほど繰り返した結果、有機溶媒中でも分解する能力が256倍に達する酵素を手に入れることができた。こうした人工的な進化によって目的のタンパク質をつくる手法は「指向性進化法」とよばれ、アーノルドはそのパイオニアとなった。その後、DNAシャフリング(細胞の中でDNAをランダムに切断し再結合させる手法)などで、より安定した酵素の開発ができるようになった。

 指向性進化で作成された酵素によって、医薬品や化学物質の合成が格段に速くなり、副産物が少なく、環境負荷の高い重金属が含まれない製品の開発につながった。さらに農作物からとれる糖やイソブタンをもとに、バイオエタノールや生分解性プラスチックの開発にも貢献した。これはアーノルドが当初目ざしていた再生可能エネルギーの開発でもあった。

 2011年チャールズ・スターク・ドレイパー賞、2013年アメリカ国家技術賞、2016年ミレニアム技術賞、2017年アメリカ科学アカデミー(NAS)のレイモンド&ベバリー・サックラー賞などを受賞。2018年には、「指向性進化による酵素の合成」の業績でノーベル化学賞を受賞した。「ファージディスプレーによるタンパク質や抗体の開発」に貢献したアメリカのミズーリー大学特別栄誉教授のジョージ・P・スミスとイギリスMRC分子生物学研究所のグレゴリ・ウィンター名誉教授との同時受賞であった。アーノルドは、同賞を受賞した歴代5人目の女性である。

[玉村 治 2019年3月20日]


アーノルド(Matthew Arnold)
あーのるど
Matthew Arnold
(1822―1888)

イギリスの詩人、批評家。名門ラグビー校の名物校長T・アーノルドの息子として生まれ、ラグビーからオックスフォード大学へ進学。『さまよえる宴客』(1849)、『エトナ山上のエンペドクレス』(1852)、『詩集』(1853)、『新詩集』(1867)は、ロマン主義への幻滅と憧憬(しょうけい)、科学の脅威と宗教の衰微などに悩まされる19世紀中葉の多感な知識人の内面を歌っている。「ドーバー海岸」「サーシス」などの詩はとくに有名。後半生は『批評論集』(1865、1888)、『教養と無秩序』(1869)、『文学と教義』(1873)、『アメリカ文明』(1888)などを発表、当代最重要な批評家として活躍。近代の文学、芸術における批評的知性の重要性を説いて、広い視野からイギリス文化の地方性を批判、T・S・エリオットなど後代の批評家に影響を与えた。オックスフォード大学詩学教授を務めながら、教育制度改善を進言する視学官でもあった。

高橋康也

『矢野峰人著『アーノルド論攷』(1947・全国書房)』


アーノルド(Thomas Arnold)
あーのるど
Thomas Arnold
(1795―1842)

イギリスの牧師、教育者。詩人マシウ・アーノルドの父。ワイト島のカウズに生まれる。16歳のときオックスフォードのコルプス・クリスティ・カレッジに入学。4年後にオーリエル・カレッジの学術協会員Fellowに選ばれた。1818年に牧師の地位を得たのち、レイルハムに住んで結婚し、古典の研究、著述および大学入学を控えた少年たちの教育に専念。1828年、名門ラグビー校の校長となり、新風をもって学校の名声を高めた。1841年オックスフォードの歴史学教授となった。著作に『ローマ史』History of Rome(1838~1843、未完)、『説教集』Sermons Preached at Rugby School(1827~1841)などがある。

[村井 実 2018年1月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーノルド」の意味・わかりやすい解説

アーノルド
Arnold, Frances

[生]1956.7.25. ペンシルバニア,ピッツバーグ
アメリカ合衆国の化学工学者。フルネーム Frances Hamilton Arnold。カリフォルニア大学化学工学の博士号を取得。1986年からカリフォルニア工科大学に勤務し,助手,准教授を経て 1996年から教授。1990年代,最適な構造の酵素を得るために,生物の進化の仕組みを利用する方法を開発した。具体的には,細菌の遺伝子にランダムな突然変異を発生させて数千の変化形をつくり,それを大腸菌に入れて働きの高いものを選び,その遺伝子にさらに突然変異を入れるという「進化過程」を 4回繰り返し,目的の改造酵素を得た。この目的に合わせて生物を進化させる「指向性進化」の成功が 1993年に発表されると,バイオ燃料用など次々に新機能をもつ酵素の開発に応用されるようになった。2018年,生物進化の過程を模倣して蛋白質の機能を改良する「分子進化工学」を切り開いた功績により,アメリカの生化学者ジョージ・P.スミス,イギリスの生化学者グレゴリー・P.ウィンターとともにノーベル化学賞(→ノーベル賞)を受賞した。2011年チャールズ・スターク・ドレーパー賞,アメリカ国家技術賞受賞。

アーノルド
Arnold, Matthew

[生]1822.12.24. ミドルセックス,レールハム
[没]1888.4.15. リバプール
イギリスの詩人,批評家。長年視学官 (1851~83) をつとめ,またオックスフォード大学の詩学教授 (57~67) として盛名をはせた。処女詩集『迷える浮かれ者』 The Strayed Reveller,and other Poems,by A. (49) 以来,スイスを舞台にした一連の悲恋の詩をはじめ,『エトナ山上のエンペドクレス』 Empedocles on Etna,and other Poems (52) ,『学者ジプシー』 The Scholar-Gypsy (53) などの詩において,現実と理想の間に引裂かれた心を独特のペーソスをもって歌ったが,1860年代からは批評家としての活動に主力を注ぎ,『批評論集』 Essays in Criticism (2巻,65,88) に代表される文芸批評と『教養と無秩序』 Culture and Anarchy (69) ,『文学とドグマ』 Literature and Dogma (73) にみられる「教養の使徒」としての文明批評を広い視野のもとに行い,今日の総合的批評の先駆者となった。

アーノルド
Arnold, Vladimir Igorevich

[生]1937.6.12. ウクライナ=ソビエト社会主義共和国,オデッサ
[没]2010.6.3. フランス,パリ
ソビエト連邦の数学者。力学系,特異点理論(→特異点)など幅広い分野で重要な業績をあげた。モスクワ大学でアンドレイ・N.コルモゴロフのもとで学び,1961年に博士号を取得。1965年モスクワ大学教授に就任した。学部学生のときにダービト・ヒルベルトの第13問題を解決し,1963年にはニュートン力学三体問題に関するコルモゴロフの定理の厳密な証明を与えた。特異点理論の発展に大きく貢献し,また,カオス理論にも寄与した。カオス理論とは,微分方程式などで定まる系において,ランダムなふるまいをする解を記述する理論である。1986年にモスクワのステクロフ数学研究所に異動し,1993年からはパリ大学ドーフィン校にも勤務した。2001年にウルフ賞,2008年にショウ賞(邵逸夫賞)を受賞。

アーノルド
Arnold, Eve

[生]1912.4.21. アメリカ合衆国,ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]2012.1.4. イギリス,ロンドン
アメリカ合衆国生まれの報道写真家。映画の撮影現場でのスターの素顔をとらえた写真で知られ,特にマリリン・モンローの写真で有名。ニューヨークで写真を学び,1951年からフリーランスの写真家として写真家集団マグナム・フォトに参加,1957年に正会員。ブラック・ムスリムや女性による政治運動から小さな街の人々の生活など,その作品は多岐にわたる。『ライフ』Lifeや『ルック』Lookなどの写真誌にも作品を発表した。1961年からはイギリスに住まいを移して活動し,世界中を旅しておびただしい数の写真を撮った。中国を撮影した写真集『イン・チャイナ』In China(1980)で全米図書賞受賞。1980年アメリカ雑誌写真家協会功労賞を受賞,1995年国際写真センター ICPからマスター・フォトグラファーの称号を得た。2003年大英帝国四等勲功章 OBEを授与された。

アーノルド
Arnold, Thomas

[生]1795.6.13. イーストカウズ
[没]1842.6.12. ウォリックシャー,ラグビー
ラグビー校の有名校長。イギリスのパブリック・スクールに甚大な影響を与えた教育家。詩人・批評家 M.アーノルドの父。オックスフォード大学コルプス・クリスティ・カレッジで学び,1815年同大学オリエル・カレッジのフェローに選任された。 28年ラグビー校の校長に就任,紳士教育の学校に改革し,超一流の水準に引上げた。その主眼は,年長生が年少生を指導するいわゆるプリーフェクト制度にあり,その後この制度はイギリスの大部分の中等学校に導入された。彼の死後に新設されたパブリック・スクールには,ラグビー校をモデルにしたものが多い。

アーノルド
Arnold, Sir Malcolm Henry

[生]1921.10.21. ノーサンプトン
[没]2006.9.23. ノリッジ
イギリスの作曲家,指揮者,トランペット奏者。 1941~44年イギリス王立音楽大学で学ぶ。 1945~48年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席トランペット奏者を務めた。メンデルスゾーン賞を受賞後,イタリアに留学して作曲と指揮法を学んだ。交響曲,協奏曲,オペラ,バレエ音楽など多くの作品を作曲した。また,映画音楽の分野でも活躍し,『戦場にかける橋』 Bridge on the River Kwai (1957) でアカデミー作曲賞を受賞した。 1970年大英帝国三等勲功章 CBEを受章,1993年ナイトに叙された。

アーノルド
Arnold, Henry Harley

[生]1886.6.25. ペンシルバニア,グラドウィン
[没]1950.1.15. カリフォルニア,ソノマ
アメリカの陸・空軍軍人。 O.ライトから航空術の訓練を受け,第1次世界大戦中は陸軍航空隊の将校となった。その後独立した空軍の必要を力説。第2次世界大戦中,アメリカ陸軍航空隊司令官。 1944年に陸軍元帥。 47年に念願の空軍が新設されると最初の空軍元帥となった。

アーノルド
Arnold, Benedict

[生]1741.1.14. ノルウィッチ
[没]1801.6.14. ロンドン
アメリカ独立革命期の軍人。准将。緒戦のタイコンデロガの攻撃に参加。カナダ遠征軍を指揮。 1777年サラトガの戦いで戦功を立てたが,79年イギリス側に寝返ったため,彼の名は裏切者の代名詞となった。 81年イギリスに行き,そこで余生をおくった。

アーノルド
Arnold, Sir Edwin

[生]1832.6.10. ケント,グレーブズエンド
[没]1904.3.24. ロンドン
イギリスの詩人,ジャーナリスト。インドのデカン大学の学長をつとめ,帰国後『デーリー・テレグラフ』紙の編集者。仏陀を主題とする詩『アジアの光』 The Light of Asia (1879) などがある。

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