佐是城跡(読み)さぜじようあと

日本歴史地名大系 「佐是城跡」の解説

佐是城跡
さぜじようあと

[現在地名]市原市佐是

養老ようろう川中流の舌状台地に築かれた中世の城跡。真里谷武田氏の居城で、信長の子信高の三男国信が当城に配されたといわれ(上総武田氏系図)、天文期(一五三二―五五)に国信が築城したと伝えるが未詳城郭は養老川と支谷に囲まれた地に限れば東西約四五〇メートル・南北約六五〇メートルの規模で、五郭から構成される。武城たけぎのI郭は東西九五メートル・南北一〇〇メートルで、腰曲輪が階段状に築かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 南山 空堀

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む