日本歴史地名大系 「市原市」の解説 市原市いちはらし 面積:三六七・九二平方キロ県中央部、千葉市の南に位置し、西は東京湾に臨む。県下で最も広域の自治体。東部は茂原(もばら)市と長生(ちようせい)郡長柄(ながら)町・長南(ちようなん)町、南部は夷隅(いすみ)郡大多喜(おおたき)町・君津市、西部は木更津市・袖ケ浦市と接する。南部は上総丘陵が広がり、養老(ようろう)川が平蔵(へいぞう)川などの支流を集めて北流し、市域をほぼ二分割しながら五井(ごい)・岩崎(いわさき)地区で海に注ぐ。JR内房線、小湊鉄道、国道一六号・二九七号・四〇九号が通る。近代以前は上総国の北西部を占め、古代には市原郡・海上(うなかみ)郡に属し、上総国府・国分寺が置かれた。律令制下の両郡はのち改編され、中世には市東(しとう)郡・市西(しさい)郡・山田(やまだ)郡・海北(かいほ)郡・馬野(まの)郡・佐是(さぜ)郡などとして史料に現れる。近世には市原郡となり、市域には同郡内一八三村(天保郷帳)が所在した。これら諸郡は個別に詳述される。〔近現代〕明治九年(一八七六)市域の諸村は第五大区第一―一四小区に属した。同二二年の市制町村制施行に伴い八幡(やわた)町・菊間(きくま)村・市原村・五井(ごい)村・東海(とうかい)村・海上(うなかみ)村・千種(ちぐさ)村・市西(しせい)村・養老(ようろう)村・鶴牧(つるまき)村・湿津(うるつ)村・市東(しとう)村・戸田(とだ)村・明治(めいじ)村・内田(うちだ)村・平三(へいざん)村(「へいぞう」とも)・鶴舞(つるまい)村・高滝(たかたき)村・富山(とやま)村・里見(さとみ)村・白鳥(しらとり)村が成立。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市原市」の意味・わかりやすい解説 市原〔市〕いちはら 千葉県中部,東京湾にのぞむ市。 1963年市原,五井 (ごい) ,姉崎 (あねさき) ,市津 (しづ) ,三和 (さんわ) の5町が合体して市制。 67年南総 (なんそう) 町と加茂 (かも) 村を編入。古代は上総地方の中心地で国府,国分寺跡があり,近世は外房と内房北部を結ぶ養老川河谷交通ルートと内湾との交通の接点。かつては米作とノリ,ハマグリ採取の半農半漁の集落であったが,1957年海岸に埋立て地が造成されて以来,京葉工業地域を形成。電力,電機,造船などの重化学工業や石油化学コンビナートが立地。工業用水源としては山倉ダムが完成。中心市街地五井では JR内房線と小湊鉄道が連絡する。養老川中流域に旧城下町の鶴舞があり,その一帯の丘陵地帯は笠森鶴舞県立自然公園に属する。面積 368.17km2。人口 26万9524(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by