佐股村(読み)さまたむら

日本歴史地名大系 「佐股村」の解説

佐股村
さまたむら

[現在地名]高瀬町佐股

高瀬川の中流域、上勝間かみかつま村の南に位置し、全域に丘陵地が広がる。寛永国絵図の二宮にのみや郷に「佐」とみえる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では一五三石余。「西讃府志」によれば村の広さは東西二六町五間・南北二四町一八間。高七九五石余、反別は一〇八町九反余、うち畑三六町六反余・屋敷三町三反余。家数二五四・人数一千一二三、牛一〇〇・馬二三。山林一〇三町余、橋一。池はさら(周囲六町三三間、漑田四町五反)由須利ゆずり(周囲五町三九間、漑田四町四反)、立花池(周囲五町、漑田四町八反余)、天神池など三一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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