侍島村(読み)さむらいじまむら

日本歴史地名大系 「侍島村」の解説

侍島村
さむらいじまむら

[現在地名]大木町侍島

花宗はなむね川の右岸に位置し、北は蛭池ひるいけ村、西は上木佐木かみきさき村・絵下古賀えげこが村・八町牟田はつちようむた村。南北朝期の八月一九日付島津氏久書状(禰寝文書/南北朝遺文(九州編)六)は足利将軍の軍勢催促を受けた島津氏久が北部九州の戦況を報じており、去月二八日、侍島に陣し、少弐氏と合戦の次第を協議したことを伝える。天正一五年(一五八七)と推定される九月二日の立花統虎代官職預ケ状(薦野家譜)によれば、薦野掃部介が西牟田にしむたのうち侍島七〇町七反の代官職を預け置かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む