日本歴史地名大系 「三潴郡」の解説
三潴郡
みづまぐん
県の南西部に位置し、北は久留米市と佐賀県とも記し、「和名抄」東急本は「美无万」の訓を付す。平城宮跡出土木簡(平城宮木簡六)に「□筑後国水
〔原始・古代〕
考古遺跡はおもに現三潴郡・大川市・柳川市を対象とする。三潴町から大川市にかけては筑後川に沿って自然堤防が続き、この自然堤防上には三潴町の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
県の南西部に位置し、北は久留米市と佐賀県とも記し、「和名抄」東急本は「美无万」の訓を付す。平城宮跡出土木簡(平城宮木簡六)に「□筑後国水
考古遺跡はおもに現三潴郡・大川市・柳川市を対象とする。三潴町から大川市にかけては筑後川に沿って自然堤防が続き、この自然堤防上には三潴町の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...