寺子屋(読み)てらこや

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「寺子屋」の解説

寺子屋
てらこや

浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』の4段目の切 (きり) 。延享3 (1746) 年竹本座初演。三好松洛,並木千柳,1世竹田出雲が三人三様の趣向で親子の別れを競作したうちの一つで,この部分は出雲作といわれる。松王の妻千代が一子小太郎を連れてくる「寺入り」,かくまっている菅丞相 (道真) の嫡子菅秀才の首を討てと時平方から命ぜられて武部源蔵が戻ってくる「源蔵戻り」,首実検役の松王は首を見ながら相違なしと認めて去るが,その首は身替りの小太郎のものであった「首実検」,松王が源蔵に心底を明かす「松王の泣き笑い」,松王夫婦がわが子の野辺の送りをする「いろは送り」,など見どころ聴きどころが多い。松王夫婦の扮装が変るのも美しい演出で,歌舞伎でもしばしば上演される。

寺子屋
てらこや

江戸時代,庶民の子供に,書,算の初歩を授けた私設の教育機関。日本では中世に入ると寺院が庶民の世俗教育も担当するようになった。その場合子供たちは6,7歳ぐらいから寺院に住込んで学習生活をおくった。この学習のために寺院に住込む子供たちを寺子といった。近世に入るとこの寺子の教育は寺院を離れて巷間で行われるようになったが,寺子の言葉はそのまま残され,子供を教える施設を寺子屋と呼ぶようになった。手習い (習字) をとし,「手習師匠」とも呼ばれた。幕末維新期には都市はもとより全国の農山村にまで広く普及し,明治初期の小学校母体となった。

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デジタル大辞泉「寺子屋」の解説

てらこ‐や【寺子屋/寺小屋】

江戸時代の庶民の教育施設。僧侶・武士・神官・医者などが師となり、読み・書き・そろばんを教えた。教科書は「庭訓(ていきん)往来」「童子教」など。明治以後、義務教育の普及によって消滅。寺。寺屋
(寺子屋)浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」の四段目の切(きり)通称松王丸が一子小太郎を菅秀才身代わりに立て苦衷を示すもの。

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旺文社日本史事典 三訂版「寺子屋」の解説

寺子屋
てらこや

江戸時代,読み・書き・そろばんを教えた庶民の教育機関
中世の僧侶による庶民教育からおこり江戸時代,町人階級の台頭農村への商品経済の浸透などで普及した。牢人神官・僧侶・医師などが教師役で,寺子(児童)は6〜13歳ごろまで通常20〜30人。教科書には『庭訓往来』『実語教』『童子教』などが使用された。

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防府市歴史用語集「寺子屋」の解説

寺子屋

 江戸時代、庶民のためにつくられた学校です。読み・書き・そろばんを中心に教えられていました。武士や僧侶・医者などが教えていたようです。

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