日本歴史地名大系 「倉久村」の解説
倉久村
くらひさむら
[現在地名]宮田町倉久
採集文書)によると「鞍手郡若宮庄倉久村之内三町地」が飯野七郎に宛行われている。小早川時代の指出前之帳によれば、倉久村の田七六町余(分米九九一石余)・畠二〇町余(分大豆七七石余)。文禄三郡内知行方目録には「くらひさ村」高一千六九石余がみえ、小早川隆景に与えられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
採集文書)によると「鞍手郡若宮庄倉久村之内三町地」が飯野七郎に宛行われている。小早川時代の指出前之帳によれば、倉久村の田七六町余(分米九九一石余)・畠二〇町余(分大豆七七石余)。文禄三郡内知行方目録には「くらひさ村」高一千六九石余がみえ、小早川隆景に与えられている。
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