倉久村(読み)くらひさむら

日本歴史地名大系 「倉久村」の解説

倉久村
くらひさむら

[現在地名]宮田町倉久

遠賀(おんが)川水系犬鳴(いぬなき)川支流の倉久川上流域、赤木(あかぎ)峠の東に位置する。南東は四郎丸(しろうまる)村、北は宗像郡武丸(たけまる)村・吉留(よしどめ)村(現宗像市)。古くは四郎丸村と一村であったという(続風土記拾遺)。弘安八年(一二八五)三月日の水原若宮社村々相撲次第(町村書上帳/鎌倉遺文二〇)では若宮八幡宮(現若宮町)で行われる相撲の出仕役のうち、一番と五番に「倉久」がみえる。天正一四年(一五八六)一二月吉日の某知行宛行状(児玉採集文書)によると「鞍手郡若宮庄倉久村之内三町地」が飯野七郎に宛行われている。小早川時代の指出前之帳によれば、倉久村の田七六町余(分米九九一石余)・畠二〇町余(分大豆七七石余)。文禄三郡内知行方目録には「くらひさ村」高一千六九石余がみえ、小早川隆景に与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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