日本歴史地名大系 「畑村」の解説
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
- 兵庫県:小野市
- 畑村
加古川左岸の標高約三〇メートルの河岸段丘面西端に立地し、
畑村
はたむら
- 大阪府:岸和田市
- 畑村
村高は古検高四七七石余で(「岸和田御領分中古高今高仕出帳」鬼洞文庫蔵)、二五〇歩が一反の検地という(岸和田市史)。慶長九年(一六〇四)の天下谷之内畑村検地帳(東京大学史料編纂所蔵)でも同高、うち一二三石余は荒、毛付高三五三石余(うち九六石余は畑分)。
畑村
はたむら
畑村
はたむら
- 大阪府:池田市
- 畑村
畑村
はたむら
- 千葉県:館山市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
はたむら
北は但馬国(現兵庫県)、東は現福知山市に接する。畑川が中流で二谷に分れる辺りから、西側の谷には上流にかけて
地名は中世後期のものと思われる徳丸盛長書状案(夜久家文書)に「畑村」とみえるのが早い。
「丹波志」に「南今西村堺ヨリ今里ノ奥但馬国堺迄五十三丁也、但今西村堺ヨリ稲垣札場迄十七丁、稲垣ヨリ柿本ノ橋迄七丁半、橋ヨリ今里迄九丁半、今里ヨリ但馬国堺峠嶺十九丁」とあり、西は
畑村
はたむら
- 和歌山県:有田市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
はたむら
中菅村の西、北流する
畑村
はたむら
- 兵庫県:加西市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
東を
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
吉志村の北に位置し、東は
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
- 福岡県:直方市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
はたむら
日野山の北西麓にあり、東は
貞享三年(一六八六)に福井藩領から幕府領、元禄五年(一六九二)から一時、当時の大坂城代土岐頼殷領となるが、享保六年(一七二一)以降は鯖江藩領。文化一五年(一八一八)の御領分村高家数人別寺院留帳(「越前宗門帳」所収)によると家数二一・人数八〇。
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
伊方川上流の
畑村
かずらはたむら
- 大分県:津久見市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
かずらはたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
- 大阪府:堺市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
はたむら
- 福岡県:豊前市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
はたむら
村内を
畑村
つづらばたむら
- 大阪府:泉南市
- 畑村
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
畑村
はたむら
- 京都府:宮津市
- 畑村
慶長検地郷村帳に高四六・二九石「畑村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高で七九石余となった(天和元年宮津領村高帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報