鞍手郡(読み)くらてぐん

日本歴史地名大系 「鞍手郡」の解説

鞍手郡
くらてぐん

面積:一八九・七五平方キロ(境界未定)
鞍手くらて町・宮田みやた町・小竹こたけ町・若宮わかみや

県の北部に位置し、北は中間市・遠賀おんが郡遠賀町、北西は宗像市、西は宗像郡福間ふくま町・古賀市・糟屋かすや久山ひさやま町、南は同郡篠栗ささぐり町・飯塚市、東は嘉穂かほ頴田かいた町・直方のおがた市・北九州市八幡西やはたにし区と接する。遠賀川が東端部辺を北流し、同川の支流で、郡域南西端部の犬鳴いぬなき(「いんなき」ともよぶ)を水源とする犬鳴川が北東に向かって郡内を貫流する。なお近世には現在の直方市全域、および中間市・八幡西区の南端部も当郡の郡域であった。

〔原始・古代〕

考古遺跡については直方市など、かつて当郡の郡域であった地域にも言及する。地域は東部の遠賀川流域(直方市・鞍手町・小竹町)と、西部の犬鳴川流域(宮田町・若宮町)とに大別できる。旧石器時代の遺物は若宮町汐井掛しおいがけ遺跡採集品のみである。縄文時代になると東部では古遠賀潟に由来する貝塚が多い。鞍手町新延にのぶ貝塚(早期―後期)は馬蹄形貝塚で前期の埋葬人骨が出土。中期以降は瀬戸内系土器が増える。古月ふるつき貝塚(木月貝塚、後期)から男女五体の埋葬人骨、直方市天神橋てんじんばし貝塚(前期―後期)ではマッコウクジラの歯を加工した装飾品が出土。文化的には西瀬戸内の西端にあたる。彦山川や遠賀川の川床からは、早期から晩期にかけての土器や扁平打製石斧が大量に出土。低地性遺跡が推定される。若宮町では腰岳産黒曜石石核が出土した都地とち遺跡、夜臼式の埋甕をもつ横田よこた遺跡があるが、集落跡などは未確認である。弥生時代には直方市上境かみざかい・下境地区の低台地に各時期の集落跡が濃密に分布する。同市感田上原がんだうわばる遺跡(中期)では粘板岩製未完成石器が多数出土した。西光寺さいこうじ遺跡(中期)は丘陵頂の見張り場的な集落跡。帯田おびた遺跡(中期)の土壙墓からは糸魚川産の硬玉製異形曲玉が出土。当地域は成人用甕棺が盛行する嘉穂地方とは異なり、土壙墓を主とする。その境は小竹町付近にある。宮田町上大隈かみおおくま遺跡(後期)からは鳥と山形を描く絵画土器が出土した。武器形祭器は伝若宮町金丸かなまる出土の中広形銅戈一例のみである。

若宮盆地では貴船谷きせんがたに遺跡(後期)の方形周溝墓のあと前方後円墳高野剣塚たかのつるぎづか(五世紀前半)が出現し、帆立貝式の高野一号に続く。その後、竹原たけはらそんくま一号墳の装飾古墳が造られ、隣接する宮田町には四〇基以上からなる有木あるき百塚が成立するが、盆地内の首長墓の規模は縮小する。対照的に鞍手町域の首長墓系列が興隆し、鎧塚よろいづか(五世紀後半)から新延大塚にのぶおおつか(六世紀後半)に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報