倉坂村(読み)くらさかむら

日本歴史地名大系 「倉坂村」の解説

倉坂村
くらさかむら

[現在地名]東伯町倉坂

公文くもん村の西、大山から日本海へ延びる山麓台地の先端にあたり、あらい川の支流倉坂川によって浸食された谷沿いの最南端部に位置する。拝領高は四二〇石余、本免は四ツ八分。竹運上銀二九匁を課されており(藩史)、佐藤氏の給地であった(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高四六三石余、竈数六四。文久二年(一八六二)の八橋郡村々諸事書上帳(峰地家文書)によれば家数六三・人数二九六、山林三五町二反余、元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数六四で、うち余業一六(綿売・木綿買棒三、綿打・桶屋・水車・糀売各二など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む