日本歴史地名大系 「東伯町」の解説 東伯町とうはくちよう 鳥取県:東伯郡東伯町面積:八二・二〇平方キロ東伯郡の西部に位置し、東は大栄(だいえい)町・倉吉市・関金(せきがね)町、西は赤碕(あかさき)町、西伯(さいはく)郡中山(なかやま)町・大山町、南は日野郡江府(こうふ)町に接し、北は日本海に面する。町域は大山から北東へ細長く延びる形状をなし、南は大山前峰の烏(からす)ヶ山・矢筈(やはず)ヶ山から山麓台地が広がり、大山山麓を源とする加勢蛇(かせいち)川・洗(あらい)川・八橋(やばせ)川が北流、広い扇状地を形成する。北部は日本海沿岸を東西に国道九号、JR山陰本線が通る。八橋で国道九号から分れた主要地方道倉吉―東伯線(一部は旧八橋往来)は浦安(うらやす)地区を通り南東に向かい大栄町域に抜けている。町域中央東部の森藤(もりとう)には縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡があり、北部の田越(たこえ)からは弥生時代の銅剣が出土している。「和名抄」記載の八橋郡六郷のうち方見(かたみ)・古布(こう)・八橋の三郷が現在の町域に比定される。郡家の所在地に比定されている槻下の大高野(つきのしたのおおたかの)遺跡付近は伯耆国府(現倉吉市)から八橋郡家を経て「清水(きよみつ)」駅、和奈(わな)駅(現名和町)へと送り継ぐ古代の交通の要衝で、斎尾(さいのお)には七世紀後半頃に建てられたと推定される寺院跡が残る。地内には古布馬牧・八橋野(やばせの)牧が開かれており、別宮(べつみや)付近、金屋(かなや)・杉下(すぎした)の八橋野付近がそれぞれの所在地に比定されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by