倉岡城跡(読み)くらおかじようあと

日本歴史地名大系 「倉岡城跡」の解説

倉岡城跡
くらおかじようあと

[現在地名]宮崎市糸原

池尻いけじり城ともいい、史料上は池尻と出ることが多い。東流する大淀川左岸、南に張出す独立丘陵上に立地する。貞和四年(一三四八)頃、伊東祐広の嫡子守永下野守祐氏が伊東祐持の居城都於郡とのこおり(現西都市)押領しており、祐持の嫡子祐重が京から日向へ下向しても明渡す気配がなかった。そこで祐重側近の重臣荒武太郎左衛門尉が使いとして祐氏のもとを訪ね、祐重を祐氏の婿とすることで解決した。このとき祐氏は太郎左衛門尉とともに池尻に移ったという(日向記)。永和二年(一三七六)とみられる一〇月二七日、今川了俊は島津氏久討伐のため池尻に在陣して軍功のあった土持栄勝に謝意を表明している(「今川了俊書状写」伊東文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む