日本大百科全書(ニッポニカ) 「光悦会」の意味・わかりやすい解説
光悦会
こうえつかい
本阿弥(ほんあみ)光悦の遺徳をしのぶ茶会。春に催される東京の大師会(たいしかい)と、秋に催される京都の光悦会は、現今東西の双璧(そうへき)をなす大茶会であり、茶人に欠かせぬ歳時記の一つ。例年11月11日から13日まで、洛北(らくほく)の鷹峯(たかがみね)の光悦寺で開かれる。古今の名物、名器が一堂に集まるさまは壮観。光悦会は、かねて関西茶道界の力を誇示しようとしていた土橋嘉兵衛(かへえ)、山中定次郎(さだじろう)らを世話役に、三井松風庵(しょうふうあん)、益田鈍翁(ますだどんおう)、馬越化生(まごしかせい)、団狸山(だんりざん)などの賛助を得て、1915年(大正4)三井松風庵を会長にして発足したもの。光悦寺に大虚庵(たいきょあん)、騎牛庵、本阿弥庵などを建築、同年11月には盛大な茶会を開いてそのスタートを切った。その後、この会を財団法人に改め、会長も益田鈍翁らにかわり、1935年(昭和10)には光悦没後300年を記念して徳友庵を新築、大虚庵を増築した。現在では毎年例日に東京、京都、大阪、名古屋、金沢の五都美術商が世話役にあたり、にぎわいをみせている。
[筒井紘一]