八ッ崎貝塚(読み)はつさきかいづか

日本歴史地名大系 「八ッ崎貝塚」の解説

八ッ崎貝塚
はつさきかいづか

[現在地名]刈谷市小山町 八ッ崎

逢妻あいづま川左岸の標高八メートルの碧海へきかい台地西縁に築かれている。ハイガイを主とする海水産貝塚で大正年間(一九一二―二六)に土取工事でその半ば以上が消滅した。昭和三〇年(一九五五)、同三一年に発掘調査が行われ、縄文時代早期後葉の粕畑式・上ノ山式・八ッ崎式・入海式の土器が出土したが、貝層が薄いため層位的変化は認められなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の八ッ崎貝塚の言及

【刈谷[市]】より

…人口12万5305(1995)。縄文時代の遺跡が多く,早期の八ッ崎貝塚,晩期の本刈谷(もとかりや)貝塚などがある。平安末期には重原荘が置かれ,重原氏,次いで二階堂氏が支配した。…

※「八ッ崎貝塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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